秋葉原電気街の変わらぬ楽しさ

 5日は一年ぶりに私用で秋葉原へ、6日は竹ノ塚へ実家の墓参りに一人で行ってきました。いずれの場合においても共通して感じたことは、東京の空がこんなに青いことに今まで私は気づかなかった、ということでした。風がそれほど吹き荒(すさ)まない、穏やかな青空の天気って、ちょっと心が休まります。忙(せわ)しない地上の人間の営みと比べたら、なんて頭上の空は澄んでいて物静かなのかと考えさせられます。この機会に、一瞬でいいから、一歩立ち止まって東京の澄んだ青い空を見上げてみるのも良いと思います。
 今回は、秋葉原のことを書きます。私が初めて秋葉原に行ったのは今からちょうど三十年前です。その頃は、若い女性の姿をほとんど見ることができない、言わば男のオタクの街(まち)でした。これは冗談ではなく、お客は電子部品を買い求める理工系の大学生や機械オタクばかり、店員さんだってお兄さんばかり、当時数少なかった飲食店に行っても、オバサンの店員がいるかいないかくらいでした。いわゆるパッとしない飾り気のない町並みでした。
 それに比べたら、今の秋葉原は別世界です。モダンな建物が多くなりました。でも、悪く言えば、書くのもおぞましい位の変わり様です。そんなふうですから、私はドンキホーテ(旧ミナミ電機館)のAKB劇場を見に行ったこともありませんし、ましてや、メイドカフェを利用したこともありません。今まで秋葉原に私がお世話になっていたこととは、それらが違うことのように思えてしまったから、残念ながらそれらには興味が向きませんでした。
 三十年くらい前には、今のように各地に家電量販店ができていませんでした。希望に合った電気機器を買いたい場合は、品数豊富な、秋葉原のお店(もちろん電気屋さんです。)へ行くことが唯一の手段であったという時代でした。それに、二十歳前後の頃は、私が電卓やマイクロコンピュータに興味を持ち始めた時期とも重なりました。それらの電子機器は、秋葉原に行くと品数が豊富で、それらの機種間の比較ができました。さらに今までに見たこともない新製品を目にすることもあって(例えば、科学技術計算用FORTRANインタープリタ搭載の超小型計算機といった現在何処にも売っていない機器が当時の秋葉原にはありました。)実際には買わなかったのですが、そうした機器に関する知識の勉強の場になっていました。
 私が秋葉原に行くきっかけとなったのは、シャープのポケット・コンピュータをアルバイトをして貯めたお金で買おうと思いついたことによります。当時は、NECのPC−8801などの8ビットパソコンが秋葉原などで売られていましたが、私の財布の予算の関係で当時はパソコンに手が届きませんでした。それよりも安価なポケット・コンピュータ本体とその付属品(ミニプリンタやRS−232Cインターフェース)を買うために、秋葉原電気屋さんを何度か利用していました。
 そのうち社会人になって、自宅の部屋の掃除のために掃除機を買ったりしましたが、秋葉原へ行くとその時々でその最新の機器を、その価格を割り引いて売ってくれたりしてくれました。
 それからハンドヘルド・コンピュータを買い、その後には普通のパソコンも、秋葉原のいろんな電気屋さんを回って見た後で買いました。それらのコンピュータで動くソフトウェア(プログラム)も、秋葉原のあちこちを探して、興味がありそうなものは買っていました。ゲームソフトや、プログラム開発ソフト(いわゆるソフトを作るためのソフト)などをよく買いました。PCエンジンとかセガサターンとかプレイステーションなどのゲーム機や、それらで動くゲームソフトのほとんども、秋葉原へ買いに行きました。
 そのうち自作マシンブームが到来して、コンピュータの部品(パーツ)を秋葉原の複数のお店で探し回るようになりました。私が自作コンピュータに取り組んでいた初期に電源スイッチが壊れたので、秋葉原のあるお店のお兄ちゃんに相談したところ、そのスイッチは商品として扱っていないと言われました。仕方なく、コタツのスイッチを買って自作パソコンのスイッチの代わりにひっつけました。現在その私の自作一号機は解体されて見る影もありませんが、そのパソコンを動かしていた時はコタツのスイッチで電源のON/OFFをしていました。
 また、三十代初めの頃にMAC(マッキントッシュ)のジャンク品を買わされて失敗したことがありました。返品や修理請負が不可のデスクトップ型のMAC本体(中古品)を、秋葉原のいかがわしい某ガレージショップで新品の定価の10分の1の値段(6千円)で買いました。ところが、使ってぴったり6ヵ月後に時計用のバッテリーが消耗したので自前で交換したら、電源スイッチを入れても画面が真っ暗でハードディスク装置が一寸うなっただけで動かなくなってしまいました。周知の通り、当時のMACは、ハードウェアとソフトウェアの仕様がアップル社から非公開のため、機械をチューニングしたり改造したりすることが簡単にできないようになっていました。そこで、隠れハッカーみたいな人がジャンク品を改造して、それをちょっとでもいじったら機械的に動かなくなるように細工をしていたのではないかと思います。もしそうであったならば、最低半年間は普通にパソコンが動作するようにあらかじめ仕組んであったようなのです。そう言えば、当時は、正規品のMACは本体のフタを開けるだけでも動かなくなると言われて、機械の中身をチェックすることを禁じられていました。このことがあってから、MACを勤め先の会社でDTP(デスクトップパブリッシング)のために使わなければなりませんでしたが、私は個人的にはMAC自体に興味を持たなくなりました。
 その他の例でパソコンに関しては、初期のパソコン自作パーツ用のハードディスクには必ず不良セクタ(つまり、物理的に壊れて記憶できない領域)があったりしてしばしば苦労しました。が、今考えるとそうした苦労や失敗すら思い出になってしまえば、楽しかったなあと感じられます。
 また、映像や音楽のアートに触れる機会を与えてくれる電気製品は、やっぱり秋葉原で買うと良い物が買えるような気がしました。カセットテープ・プレーヤーやビデオテープデッキやコンパクトディスク(CD)プレーヤーやレーザーディスクプレイヤーなども買ったりして、それらで再生できるビデオテープやCDやレーザーディスクのソフトなども多数、秋葉原のいくつかの電気屋さんのしかるべき売場で買っていました。
 このように、私にとっての秋葉原は、現在のように若い女の子がそこかしこに姿を現すような『落ち着きのない町』ではなくて、電気製品、電子機器もしくはパソコン書籍などを探しに行くための『落ち着きのある町』でした。ですから、今でも私はメイドカフェに行きたいとは思ったことがありませんし、そのような所へ行く若い人たちをうらやましいと思ったりすることもありません。
 今回、秋葉原に出かけたのも、中古品および新品で役に立つ電子機器がないかと探しに行くことが目的でした。ありふれた性能の機械ではなくて、ちょっと用途にクセのある機械を探し出したりするために、秋葉原電気街に行くのは楽しいことですし、その習慣は今でも変わりありません。例え今回のように気に入ったものが無くて何も買えなかったとしても、それを探し回ること自体それはそれで良いことであり、私にとっては楽しいことの一つなのです。