好きになるのは人だけですか?

「恋っていうのはねえ、人間ごときにするものじゃなくて、お金にするものなの。お金は女を裏切らないの。私の辞書の中には、失恋なんて言葉は無いの。」
 これはフジテレビのドラマ『やまとなでしこ』の中で松嶋菜々子さん扮するヒロイン神野桜子さんが言っていた言葉です。お金が大好きな桜子さんだからこそ言える冷静な言葉です。一見、見栄っ張りな言いわけにすぎないと思われるかもしれません。欧介さんのことが本当は好きなくせに、その気持ちを隠してそう言ったにすぎないのでは、と思われるかもしれません。
 この言葉は表現がちょっと変だけど、真実を言い当てています。人は裏切るけど、お金は裏切らない。人の気持ちは変わるけど、お金は変わらない。人とお金とどちらを信じるのか。その問いに対する答えとして、貧乏なハンサム男よりも、お金持ちのぶ男を選ぶ方がずっと理にかなっていると考えるのは正しいことです。お金にかぎらず、2つの選択肢がある場合に人は信じられるほうを選ぶはずです。確実に得をしたり、幸せになれるほうを選ぶはずです。
 ところが、恋というと、どこに価値を求めていいのか、どうしたら成就するのか誰でも迷うところです。例えば、相手が好きで結婚した、という話をよく聞きます。はたして、好きとか恋とかは結婚の理由となりうるのでしょうか。もしかしたら、その人そのものが好きだったのではなくて、その人の何らかの特徴を好きになったにすぎなかったのでは、とも考えられる場合だって少なくないと思います。そこに恋しただけだったかもしれません。
 そんなふうに考えるのは、考えすぎだよという意見はもちろんあると思います。でも、桜子さんはお金が大好きでした。そんなこと現実の世界ではありえない、架空の世界の話だ、という意見ももちろんあると思います。しかし、私たちは現実の世界で、お金が欲しいと思うことをたびたび経験しています。お金が大好きだったり、お金に恋しても何の不思議もないはずです。
 そう考えてくると、人以外のものを好きになること、そうしたものに恋をすることは、別に変わったことではないはずです。例えば、踊りが好きだったり、音楽が好きだったり、写真が好きだったり、映像が好きだったり、フィクションが好きだったり、動物が好きだったり、置物が好きだったり等々、人間は五感を通していろんなものを好きになったり気に入ったりして、それらの表現するものに強く心を引かれて、恋さえもすることがあります。恋の対象が、必ずしも生身の人間でなきゃいけないとするのは、あまりに狭い考え方であり、あまりに柔軟的でない考え方だと思います。
 現代では、テレビやラジオやインターネットなどが身近になって、電波を介していろんな情報を(文字や音声だけでなく映像も含めて)受け入れることができます。その基本として、様々な情報を私たち自らが選択して正しく受け取ることは、常に必要なことです。それを前提として、例えば、この映像はステキだなとか、それを好きになったり、恋の気持ちを味わったりしているわけです。私は敢えてこのように冷めた見方で表現していますが、それが大人の分別を持つということだと思います。