作業が進まないときは…

 ここ一週間ほど、実は私は命がけの仕事をしています。地元のJAから借りているビニール・ハウスのてっぺんにのぼって、ビニールを張る作業をしなければならないのです。
 昨年は、前の年に張ったビニール・シートをそのまま使ったので、ビニール・シートの張り替えはしませんでした。その代わり、ビニール・シートの破けた箇所を一つ一つ、ビニール・ハウスによじのぼって修理していました。一番大きく破けた箇所は10m近くあって、その修復に一日かかりました。春なのに日差しの強い日に、一日中ビニール・ハウスのてっぺんにいたので、(私は本当は肌が色白なのですが)かなり顔と手が焼けてしまいました。
 私は子供の頃から高い所が少々苦手で、小学校の友達が都営団地の5階に住んでいるというので遊びに行ったら足がすくんでしまいました。東京タワーとか東京都庁ビルの展望台とかにのぼっても、知らず知らず歩幅を小さくして歩いてしまいます。地震が起きたらどうしようとか、暴風雨にあったらどうしようとか、それらが原因で足元がものすごく揺れたらどうしようとか、その時、無意識に考えてしまうのです。
 ですから、地面から2m以上で5mくらい上で作業をしなければならない、今回の作業は、私にとっては命がけの仕事なのです。以前、東京の自宅の瓦屋根のふき替えと外壁を塗り替える作業に立ち会った時に、地上から6m上の足場を歩いて、それらの出来上がりをチェックしたことがありました。ですから、まったく経験が無いわけではありません。脚立もしくは梯子をハウスの脇に立てかけて、そこからよじ登ります。さらにアーチになっている立っている鉄パイプの支柱をよじ登って、地上から5m上空のヤネのてっぺんに辿り着きます。それだけなら周りの見晴らしが良くっていいのですが、天気のいい日に限って風が強くて、吹き飛ばされそうになります。両手両足で鉄パイプにしがみついていれば、かろうじて大丈夫ですが、それでは作業ができません。幅7〜8mで長さ26mもあるビニール・シートをヤネの上まで持ち上げて、広げて、さらにヤネの端っこにパッカーやスプリングなどの止め金資材で固定しなければなりません。
 今日のように天気が良くて風が強い日は、最悪でした。ビニール・シートが風にたなびいて、上空に持ち上がると、私一人の力ではどうにもなりません。下手をすると、ビニール・シートの端っこをつかんだまま体ごと飛ばされる危険があります。とても危険なので、この作業は現在私一人でやることにしています。私一人ならば、体ごと飛ばされそうになる直前で手を離せばいいのです。
 ビニール・ハウスの上で作業することも、その上でビニール・シートを持つ作業をすることも、いずれも危険を伴う作業なので、誰かにやってもらって万が一転落して怪我でもされたら困ります。ならば、業者さんに頼めばいいじゃないかという人がいるかもしれませんが、実は業者さんも命がけなのです。それに、かなりの手間賃を取られます。だったら、自前でやったほうが得です。
 また、暴風雨などでヤネに張ったビニール・シートに亀裂ができると、補修テープで修復しないといけないので、結局ビニール・ハウスにのぼらなければなりません。ビニール・ハウスの共済保険に入っていれば、確かにお金は後でもらえます。がしかし、破損したビニール・シートをすぐに直してもらえるわけではありません。ビニール・シートの破損が原因で収穫が減ってしまった農産物が、お金で保障されるわけでもありません。あくまでも、破損したビニール・シートに対する保障なので、破れたビニール・シートは自分自身で直すしかありません。
 というわけで、今年は私一人で8棟のビニール・ハウスを一人で片付ける計画にしました。すでに5棟はビニール・シートを張り終えました。実は、地元の新規就農者仲間の何人かに手伝いを頼んだり、長野県農業大学校の研修生に手伝いを頼む手も本当はあります。以前はそういう手段も使ったことがあります。なぜ今年はそうしなかったかと言いますと、ビニール・シートの張り方を改めて一人で勉強してみたかったのです。複数の人数でこの作業をやれば、一日か二日で終わってしまいます。けれども、どうやってこの作業を進めたのか、分からずじまいになって次回この作業をする時に困ってしまうだろうと思いました。一度は私一人で細かい作業を一つ一つ確認しながら、学んでいく必要がありました。
 今日は結局一日中、強い風が吹き荒れて、その中で作業を進めました。複数の人で作業するとしたら、絶対に中止になるほど悪い状況・条件の日でした。(複数の人に手伝ってもらうとしたら、別の日に延期しなければならず、次回の作業日に人数が集まるかどうか、それはそれで問題が起きます。)今日私が敢えて作業をしたのは、私自身の勉強のためでした。条件の悪い日に一人でビニール・シートを張れたら、それはそれで儲けものです。一日中頑張ったのですが、結局ビニール・シートが何度も風に飛ばされて、失敗してしまいました。無理を承知でやったとはいえ、かなり落胆しました。日中の空気が0度近くになる冷たい風が吹き荒れてたとはいえ、せっかく天気がいい日に恵まれたのにと思い、一日を棒に振ってしまったと感じました。
 でも、これは命を懸けた勉強だし、高い所から足を踏み外して転落することもなかったし、業者さんに高いお金を一銭も払わずに済んだし、良くないことばかりではなかったと思いました。そういえば、かつて俳優の香川照之さんが、日本アカデミー賞の受賞者のスピーチで「お金をかけずに、命を懸ける」と言われていたのを思い出します。今回の作業における私の心境はまさにそんなところでした。(ちなみに、受賞者のスピーチというのは、難しいものだと思いました。あんまり砕け過ぎていると聞いている人に失礼に当たるし、あまりかしこまっていると誰かが考えた文句を棒読みしている感じに聞こえてしまいます。私も中高生の頃に、学校で人前で何回かスピーチをしたことがありますが、かつ舌はそんなに良くありませんでした。けれど、どんな場合も、ちゃんと自分で調べてきたことを話したので、人前であがることはありませんでした。)
 今日のビニール・シート張りの作業は、ビニール・シートがハウスの外へ風で吹き飛ばされて落ちてしまったので、振り出しに戻ってしまいました。一度外に落ちたビニール・シートは重くてそう簡単には持ち上がりません。午後6時を過ぎて、日没のためにあたりが暗くなってきたので、今日は作業を断念することにしました。明日またやればいいや、今日は気分転換に久々にネット・カフェでも行ってみようと思いました。