私の本業 つぶれたビニールハウスのこと

 私は、溶接屋の息子としてトクをしたことがあります。先日、D社の軽トラを定期点検に出しそうとした時に、幌(ほろ)の支柱を車体につないでいる金属の部品に亀裂が入って、切断しているのを見つけました。その部品を作っている九州の工場に注文すると、時間と金銭(数万円くらい)がかかりそうなので、私は代案を掲げてみました。D社の係の人に、幌を覆っている布をはがして、その金属の部位を溶接でつなげて欲しいと注文を出したのです。D社のサービス・センターは修理工場に隣接していたので、早速そこでやってくれました。案の定、その代金は二〜三千円(ちょっと一回だけ溶接する場合の相場の金額です。)で済みました。しかも、接合面が裸で錆(さ)びるといけないというので、塗装までしてくれました。
 第二次産業というと、車や家電などの製造で儲けている大企業ばかり日本では目立ちますが、私はそれは違うと思います。地元の農業活性化委員のS氏が先日それと同じことをおっしゃていましたが、農業用の鉄パイプだって、鉄鋼を薄く引き延ばして、それを丸めて、接合して、接合面にヤスリをかけて作られます。そのように様々な加工の工程を踏んで、農業用の鉄パイプが製造されます。多くの人たちが一度に大量の鉄パイプを注文すれば、当然、その製造は追いつかなくなります。農業用の鉄パイプの価格高騰を招き、さらにその資材不足のため、手に入らなくなります。
 私には、そのことで思い出されることがあります。私が、現在の場所で新規就農し始めて二、三年後に、北京オリンピックがありました。北京オリンピック開催の前後の年は、中国は建設ラッシュで、日本の鉄パイプのメーカーは競って、中国に鉄パイプを輸出していました。私が、農業施設の補強のために鉄パイプを取引している業者に求めると、「無い。」という返事でした。すべて中国に輸出されてしまい、「日本人に売ってあげられる鉄パイプは一本も無い。」と言われました。私は、その頃、資材不足に泣かされました。そのことで中国を恨む気持ちはありませんが、「日本人に売る鉄パイプは無い。」とは、何ということでしょうか。日本の業者は、自国の農業従事者にこんなにも冷たいのか、とその時の私は思い知らされました。
 それはさておき、日本の第二次産業は、ほんの一握りの大企業がモノを作って海外に輸出して、貿易黒字を出してきました。しかしながら、それを縁の下で支え続けてきたのは、日本全体の3分の2以上を占める中小企業および零細企業でした。それが、日本の高度経済成長期を支えた、日本の工業(第二次産業)のすべてだと思います。その頃、私は小さな町工場の鉄くずに取り囲まれて、幼少期を過ごしました。高価な金品に囲まれて暮らせればよかったのですが、あいにく機械油が汚くしみついた鉄くずの中が、私の目にしていた人生の現実でした。
 農家の子供は、小さい時から土になじんで、農地に入ってもつまづかないそうです。一方、小さな町工場で育った私は、足元に鉄くずが散らばっていても、足を取られることはありません。農家で育った人は、農業用ハウスが雪で押しつぶされると、役に立たなくなったその農業施設を撤去して、一度新地(さらち)にして、ハウス施設を再建して元に戻すことを考えると思います。それは正しいことだと思います。ただし、お金が膨大にかかります。都会の小さな町工場の零細企業で育った私にとっては、そのような膨大な出費は耐えられないことです。
 国や県からは、農業施設の撤去と再建について、お金で支援してくださるそうです。それは、ありがたいことであることに変わりありません。でも、だからと言って、JAや県や国からの支援を待っていたり、それに甘えていてはいけないと思います。第一回目の大雪(2月8日)でヤネがつぶれて、支柱が倒れたビニールハウスについては、JA指導員のT氏から「施設を撤去するしかないので、それに向けて片付けるように。」と指示をいただいていました。第二回目の大雪(2月14、15日)では、さらにヤネがつぶれたビニールハウスが増えて、JA指導員の目からすれば、すべて施設を撤去して、新しい施設を建て直すしかない、という判断を下されました。(詳しいことは改めて記述しますが)その日1日中、雪下ろしをしていた私も、その甚大な被害を目の当たりにして、JAの方々の判断が正しいと思いました。ビニールハウスを借りていたので、その損害賠償はどれくらいかかるだろうか。先が見えない復旧作業がいつまで続くだろうか、野菜の栽培はいつから始められるだろうか、等々の疑問や心配事が、ビニールハウスを雪でつぶされた精神的ショックと、いつまでも春にならない毎日の『ビックリするような寒さ』と一緒くたになって、私の心身は縮こまってしまいました。
 テレビでは、ソチ・オリンピックの真っ最中でした。けれども、私は楽しめませんでした。突然、PTSDにかかったかのようでした。その『雪と氷の祭典』は、私にとっては拷問のごとく思われ、雪と氷に対する恐怖心を抱かせました。「早く終わってくれないかなあ。」と願ってばかりいました。
 しかしながら、JA指導員のT氏から「農業設備の解体の許可」をいただいていたので、一月末から一人でそれに着手していました。それまでは、雪害対策の会議に出席して、回りの状況を知ることにつとめたり、地域の人々の意向を知ることにつとめていました。あと、あちらこちらの雪かきをやっていました。(そのことも改めて記述する予定です。)そうしたことを踏まえて、改めて、壊れたビニールハウスに入って、いろいろと考えさせられました。
 ここ数年間は、風にビニールを破かれることが多かったので、風に強いビニールハウスにするための対策に追われていました。ところが、雪が降った当日はたった一日か二日であったにもかかわらず、私の力では対処できませんでした。確かに、はぜ棒で地面と屋根の骨組みにつっかえ棒をするとか、ストーブを焚いてビニールハウスを暖めるとか、ハウスの外側から雪下ろしをするとか、ハウスの内側から棒で突ついて雪を落とすとか、最終手段としてヤネのビニールを斬って雪を落とすとか、いろんな手段と対策を知識として知ってはいました。そして、その二、三の方法を試みたものの、その時点で決定的かつ効果的な結果が得られませんでした。ヤネのビニールを斬っても、風が無いので、落ちないで積もる雪のほうが多かったようです。私は、その一晩中「もう、(雪が)やんでくれ。やんでくれないか。」と氷点下の寒さに震えながら願っていました。(否、願うしかなかったのです。)
 結局私は、こう考えました。今回、大きなビニールハウスほど被害が多かったのは、雪に強くあるべき農業設備の考え方が、設備の大規模化で忘れ去られていたからなのです。自然の力に、人間の考えの弱点を突かれた形だと思いました。
 でも、反省や批判ばかりしていても、何にもなりません。壊れたビニールハウスという現実を直視すると、過去を反省することは全くもって無力で、効果が無いのです。そこで、私は、その大規模な農業設備を自力で解体する手段を考えることにしました。その時点では、JAの方々による解体撤去の、人足(にんそく)支援というものを期待していませんでした。私以外にも、大きなビニールハウスをつぶされた方が多いことを雪害対策会議等で知っていたので、私の所にまわってくる順番は後の方と自覚していました。そこで、自力で何とか撤去などできないかと考えるようになっていたのです。
 そんなわけで解体の手始めに、クロス・ジョイントの金具一つ一つを、私はハンマーで打ってはずしていました。すると、私はとんでもないことに気がつきました。そもそも、八年間も、そのビニールハウスで作業していたにもかかわらず、その鉄パイプでできたハウスの構造について全く知りませんでした。変な例えかもしれませんが、それはあたかも、原子力発電所の仕組みや成り立ちを知らずに、廃炉へ向けた撤去作業をするようなものです。そのことを反省させられると同時に、自ら建設したのではないその農業施設を十二分に活用できていなかったことに思い当りました。
 まず、20mの補強の鉄パイプ一本をハウスに接合(ジョイント)している金具は50組あります。そうした接合(ジョイント)は、一ハウスにつき、さらに9組あります。さらに加えて、筋交いの鉄パイプには、ユニバーサル・ジョイント金具が合計30セット付いています。一組の小さなジョイント金具が20g〜30gと考えると、一ハウスに付き、ジョイント金具だけでも総計100kg前後の重量があります。(さらに補強や梁(はり)の役割をする鉄パイプなど9本各々(おのおの)の重量は、同等に重いと考えられます。)しかも、それらは全てスチール製です。アルミや真鍮(しんちゅう)では、ハウス全体を支えるだけの強度が得られません。つまり、金具が曲がってしまうのです。しかも、スチール製の金具でも、現在ある以上の軽量化や小型化はできないと考えられます。仮に、それらを全て溶接で接合していたら、そんな重さにはならないと思います。つまり、何が言いたいのかと申しますと、そうした重たい鉄パイプや金具をその骨組み自身で支えて、さらに重たく大きいビニールをまとっていたのが、ビニールハウス本来の姿であることに、八年間も私は気がつかなかった、ということなのです。それがわかっていれば、雪の重さに対するビニールハウスの、私の管理や対策の仕方も変わったかもしれません。
 最初私は、農業設備の撤去に向けて、その解体作業を続けていました。使える道具は、軍手・ハンマー・プラスドライバー・マイナスドライバー・ペンチ・パイプカッター・はさみと大小一つずつの脚立でした。おおよそ、農業従事者とは思えない、道具立てと言えましょう。屋外で、電力の供給ができないため、グラインダーは使えません。ただし、私はガス溶接と電気溶接の免許を持っているので、つぶれたハウスのヤネの鉄パイプを、ガス溶接で焼き切ってしまおうと思っていました。ところが、新規就農者仲間の一人に建築業をやっていた人がいて、2千円くらいで買えるパイプカッターで25ミリ口径の鉄パイプを切断できることを教えてもらっていたので、ひん曲がって、一ハウスで百本くらいあるアーチのパイプを切断するのに、その道具を使ってみることにしました。その方が、パイプの切り口がキレイにできて、切りくずも出ないので良いと思いました。ただし、身の回りの安全をなるべく確保しつつ、そうしたスチールの切断作業などの危険な作業に着手していました。
 また、そうした解体作業に関しては、先の見えない見通しは、あえて立てないことにしました。それは難しい高等数学の問題と同じで、そう簡単に見通しがつくこと自体がおかしいのです。農業のやっていることを、なめてはいけません。そんなに簡単に答えが出せるならば、誰も苦労はしません。まず、しなければならないことは、何を修理しなければいけないのか、修理できなければ撤去しなければいけないのか、といった現状の分析です。また、一つの設備の撤去作業をする場合にも、「何をどう順番に撤去していけば」という、つまり、一つ一つを具体的な小さな作業に分割して、その一つ一つの作業の順番を決めて実行していくことが大切なのです。そうすれば、先の見通しが全くつかなくても、作業の進捗および結果は時間の経過と共に現れて、何らかの結果が出ます。もともとお金にならない作業ではありますが、結果が全てだと思い切れていれば、ムダにはならないと思います。
 そこで、私はあることに気がつきました。そうした解体作業中に、ひん曲がった鉄くずを整理していました。すると、大量の接合(ジョイント)金具が無傷であることに気づいたのです。つまり、農業従事者などの農業を知っている人たちにとっては、廃材に見えるものでも、熔接屋の息子であった私にとっては、資材(もしくは、『鉄くず』という資産)に見えるということなのです。農業資材は、今回の天災によって価格高騰もしくは入手困難を招くことが予想されます。となれば、利用できるものはなるべく再利用して、経費を減らす方向に持って行くのが良いと考えられます。となれば、地面に突き刺さってひん曲がっている支柱を一本ずつ人間の手で真っ直ぐにできれば、そして、それらを接合(ジョイント)金具でつなぎ直せば、元の状態をそのまま復元できなくても、農業資材として復活できるものもあるのではないかと、私は考えました。
 そんな勝手なことや、そんな余計なことをして、国や県から支援金がもらえなかったらどうするのか、と苦々しく思う人がいらっしゃるかもしれません。それに、私のやり方では、雪でつぶれたハウスの上部をパイプカッタ―で切断して撤去しているため、元の状態に完全に戻すことはできません。今までのハウス雨除け栽培は、強制的に露地栽培にならざるをえません。そのために、農産物の生産量が落ちることは誰が見ても明らかです。しかし、少ない手間と時間で、今年の農産物の栽培時期に間に合わせるには十分なやり方だと思います。私は、そのことに賭けて、あえてハウスの解体と修復の作業を実行しました。その結果の良否は今年の末になればわかる、と願いたいところです。