自然に立ち向かう人間の闘いに共感する

 それは、つい最近の月曜日の夜遅くに訪れました。別に夜ふかししようと思っていたわけではなかったのですが、何となくテレビをつけていたら、『月曜から夜ふかし』という番組がやっていました。私は普段はその番組を見ていないのですが、たまたま石原良純さんがゲストで出演されていたので、何となくテレビを見ていました。しかも、今夜は石原良純さんSPということで、その『ひと』と『なり』をいろいろと紹介してくれていました。
 日中の私は、ビニールハウスの屋根の上で、大きな農業用ビニールの張り替え作業に着手していました。ビニールハウスの鉄パイプの骨組みをよじ登って、地上から頭上5メートル以上の上空で地面に落ちないように気をつけながら、鉄パイプの骨組みにしがみついて作業を続けていました。その夜、そのせいでひどく疲れて布団の上で横になりながら、うとうとしていました。テレビを見ていたのですが、その内容はどれも断片的でよく憶えていませんでした。
 ふと、一本のスコップを持った石原良純さんが海辺の砂浜で何かをされている映像が、テレビの画面から私の目に飛び込んできました。石原氏がスコップで砂を持ち上げて穴を掘っている様子を、私は見て興味を引かれました。人々の寝静まった夜中に、余りにエキサイティングなものを見てしまい、ワクワクしてしまいました。夜中なのに私は一人でテレビの前で笑ってしまいました。日中の作業で疲れていた私の眠気が、その一瞬で、一気に醒(さ)めてしまいました。
 その『海辺の穴掘り』という趣味には、自然に立ち向かう人間の闘いが想定されていました。波打ち際をスコップで掘り起して作った小さな砂山とその窪(くぼ)みは、時間がたつと波に洗われて、崩れてしまい、元の平らな砂浜に戻されてゆきます。スコップ一本で砂浜を掘って自然に立ち向かった、その人間の戦いが、打ち寄せる波の『自然の力』の前では無力(つまり、何もしなかったのと同じ)であり、その海の『自然の力』の大きさを人間が思い知るところに、得も言われぬ感動と面白さがありました。番組スタッフが、その穴掘りが何なのかと問いつめると、石原氏は「無駄な時間だよ。」と回答されていました。
 このテレビ番組のMCのマツコ・デラックスさんも言われていましたが、そんなふうに時間の無駄を持つということは、いろんな意味で大切なことなのです。今回はそれについて余りつべこべ解説しませんが、そうした『海辺での穴掘り』や『無駄な時間』ということに私が共感した理由も、そこにあったのだと思いました。特に、一人でいる時にその時間をどう使ったらいいか、悩んでしまう人にはおすすめです。個人的な言い方になってしまいますが、一人で無駄な時間を持てること自体が、人間としては意外と幸せなことなのかもしれない、と私は思いました。
 実際に今、私はビニールハウスの破けたヤネの大きなビニールを何枚も張り替えなくてはならなくて、大変危険な目に遭(あ)っています。ビニール張り替えの業者に頼めば、そうした危険を私自身は回避することはできます。しかし、農業資材の大きなビニール自体が高価であるのに加えて、その張り替えの経費まで余計にかかるとなると、農産物の売値にそれを上乗せしなければなりません。これは施設園芸という農業の分野において致命的なことであり、なるべくそうした経費を削って、なるべく農産物の売値を安く保つことが経営の基本になります。それゆえ私は、そうした業者に頼まずに、私自らが体を張って、危険な作業に挑んでいるわけです。新規就農者やアルバイトで雇っている人たちに協力してもらう手段もあるのですが、彼らになるべく頼らないことが、彼らを危険な目に遭わせずに済むのではないかと考えています。彼らが事故に遭ったり怪我をされるよりも、私自身がそのリスクを背負うほうが、ビニールハウスを利用して施設園芸を行う責任者として適切なのではないかと、私は思っています。
 とは言うものの、私は「ビニールハウスのてっぺんから落ちて、怪我をしたり、命を落としたらどうしよう。」と心の中でいつも思ってびくびくしています。特に、風などが吹くと、その『自然の力』にかなわないことがしばしばあります。ビニールハウスの鉄パイプをよじ登りながら、地上から五メートル以上の上空で「落ちたら大変だ。」と思いながらも、「経費削減のためとは言え、何でこんな危険な目とずっと向き合っていなきゃならないんだ。」と思うことも少なくありません。
 そんな時、私は、石原良純さんの『海辺の穴掘り』を思い出しました。その「自然に立ち向かう人間の闘い」を思い出して、私なりにこう思いました。「海辺でスコップ一本で穴掘りをするまでは、ここから落ちて怪我をしたり、命を落とすわけにはいかないな。」と、地上から五メートル以上の上空にいる時に思いました。そこにいて、私は生きる勇気とか人生のやりがいというものが結局どういうものであるかを知ることができました。
 よって、それは、その『無駄な時間』というものが人間にとって大切なものであるということへの、いくつかある意味のうちの一つだったと思いました。無駄な時間だからと言って、人間にとってそれが本当に不必要かと言うと、そうとも言えない場合だってあるのだ、ということです。その『無駄な時間』は、実際経験してみるとやっぱり無駄な時間なのかもしれません。けれども、他にとって代われない時間に見えることもあるのではないかと、ひょっとしたら価値観を変えることができるのかもしれません。
 上に述べたように、私は、本業で風と大きなビニールと鉄パイプとの兼ね合いで、命がけで自然の脅威と対峙しなければならない場合があります。でも、そんな立場の私であっても、石原良純さんの『海辺の穴掘り』には共感できます。スコップと砂浜と波との兼ね合いで、自然に立ち向かう人間の闘いが、たとえ無駄な時間であったとしても、それが与えてくれる感動と面白さには、人生に生きがいを与えてくれるものして共感できると思いました。