私のプロフィール 農家の年齢制限差別と戦う

 ちょっとシビアな話をしましょう。私は40代を過ぎて農業を志したのですが、この業種を目指すために大きな問題を抱えていました。それは、ひょっとすると40代以降の独身男性が必ず直面する問題だったのかもしれません。日本中どこでもそうだというわけではありませんが、少なくとも私が経験した現実に基づいてその苦労と困難を述べたいと思います。
 どんな世界でも当然のことですが、地元の人たちは『よそ者』に対して冷たいということです。周りが高齢者であろうとなかろうと、それは関係無いと思います。また、農村であろうと都会であろうと、それも関係ないと思います。土地を貸すにも、家を貸すにも、個人的には関わりたくないという人情は、『よそ者』の私にもよくわかります。より良い生活を求めて、地元を離れる若い人たちを、地元の人たちは皆、見ているからです。でも、私は幸福なことに、地元の理解ある一人のお爺さんに助けていただきました。その助けによって、私は、JAから畑とビニールハウスを借り、不動産屋さんから安い家賃のアパートを借りて生活を始めました。農業の技術的なことは、地元のJAの職員さんや地元で農業をしている方からアドバイスしてもらうことはありますが、生活上のことは一切頼るわけにはいかないと考えました。
 私がそのようにせざるおえなくなった理由は、小諸の長野県農業大学校で研修生として勉強していた42歳の頃に経験したことが大きく関わっています。その頃の私は、長野市の農家さんや佐久市望月町の農家さんに農家研修に行っていました。
 農家研修を受け入れてくれたこれらの農家さんが、私をどう見ていたのか、ということが問題でした。当時の私は、まったく農作業も知らず、完全な素人でした。しかも、40代を過ぎていましたから、ほかの若い30代の研修生と容赦なく比較されてしまいました。こんなやつにこの仕事ができるかな、無理じゃないかな、年もいい年だし、体もできてないし、体力もなさそうだし、経営を始めたら、お金ばかりかけて結局赤字でどうにもならなくなって中途で投げ出してしまうんじゃないかな、と思われていました。
 しかも、若い人たちは、担い手や後継者を必要とする農家さんとの相談会や、その農家さんの娘さんとのお見合いパーティーに出席できましたが、私はそれらの機会から意図的にはずされました。それは、私が、年齢的にも、技能的にも、農家の担い手や後継者として不適合であるということを示していました。
 さらに、研修先の農家さんには、10代20代の年頃の娘さんがいましたが、意図的に時間を調節して私に会わせないようにしていました。もちろん私には、若い娘さんの気を引くなどといった、そんな下心はありませんでしたが、相手の農家さんにしてみれば、過剰なまでの警戒心があったようです。私としては、この仕事をやれるだけの心と体を作り、技能・知識を習得することで精一杯であり、いきなり農家の後継ぎになろうなどといった安易な道を考えているヒマがありませんでした。がしかし、農家さんたちの考えは私とは違っていました。そうした真面目な私の考えや態度は、馬鹿げていると決めつけられていました。
 結局私は、これらの農家さんにあとあとお世話にはなるまいと決めて、農業大学校のコーディネータの人に相談して、これらの農家さんの農家研修を打ち切ってもらいました。そんな下らない誤解を招かない就農者を選んでもらって、改めて農家研修として実地の研修に行きました。
 私は、農家でお嫁さんが来ないと嘆いている長男の方のことも知っていれば、担い手・後継者として娘のムコ探しをしている農家さんがいることも知っています。しかし、私はそうした農家さんたちと縁を結ぶことは、絶対ありえないと考えています。
 年齢的なこともありますし、第一目指しているものが違いすぎるのです。私は、農家さんの所有する土地財産を守るための道具ではありません。その道具になるためではなく、ビジネスをするために、この仕事をしようと考えたのです。自分だけの財産を守れていれば、それで済むなんていう小さなことでは、ビジネスは済まされません。
 とうの昔に私は腹をくくっています。本当は、研修に来た私を見下していた農家さんにこんなふうに面と向かって言ってみたかったのです。「あんたらの世話にはならない。都会で仕事をしてきた人間をなめるな。」と。