予期せぬ異国の訪問者

 今から10年近く前の話になります。その日、私は、地元のJAから借りている畑で、地元の農家さんから借りた耕うん機でもって土を起こす作業をしていました。すると、いきなり30代くらいの二人の男性がやってきました。彼らは韓国人を自称し、一人は韓国の某テレビ放送局の記者さんで、もう一人は通訳兼カメラマンだと自己紹介してきました。私がここで就農しているという情報をどこからか入手してきたらしいのですが、よくわかりませんでした。取材をさせてくれませんか、とその場で申し込まれました。

 私がそれに承諾すると、カメラマンの人がピストルの形をしたものを取り出しました。「銃のような形をしていますが、銃口にレンズの付いた最新型のビデオカメラです。これで撮影します。」との説明がありました。かつて私は、衛星放送で韓国の流行歌手が、ピストルの形のマイクロホンを持って歌唱しているのを観たことがありました。その手の類(たぐい)かなと思いました。

 そういえば、その数カ月前に私は地元のNHKテレビのニュースに出ていました。悪いことや事件を起こしてテレビのニュースに出たのであれば大事(おおごと)ですが、そうではありません。その時は、私と、私がお世話になっている地元の農家さんが、NHK長野の記者さんとカメラマンさんから取材を受けていました。その模様が、テレビのローカルニュースで2、3回放映されていたのです。

 おそらくそのテレビを観て、その二人の韓国の方々はここにやって来たのかな、と私は思いました。したがって、銃のようなハンディ・カメラを見せられても、私はその二人に警戒感を持ちませんでした。

  彼らの要望で、耕うん機で土を起こしているシーンをカメラに撮りたいとのことだったので、私はその作業を始めました。以前、NHK長野のスタッフさんから取材を受けた時も、そのシーンがニュースの映像として映っていました。そのため違和感の無かった私は、しばらく銃の形をしたハンディ・カメラで撮影されていました。すると、そのうちに、記者さんが通訳兼カメラマンの人を引き止めて、突然何語かわからないような早口で、何かに感動したかのようにしゃべくり出しました。どうしたのだろうかと、しばらく私は思いました。すると、今度は通訳さんから、次のような説明がありました。

「韓国では、日本のように人口が多くないため、多数派の意見が支配的になってしまい、少数派の意見は通りません。少数派の意見のほとんどは、黙殺されてしまうことが多いです。あなたのように、都会から田舎に移住してきて、一人で農業をやるとしたら、誰も援助をしてくれないし、生活していけません。韓国の社会では、みんな右へ倣(なら)えでいなければ、生きて行けないことが一番の問題なのです。」

 そんなことを話してくる相手に、私は反論ができませんでした。民主主義国であるかぎり、多数派の意見が支配的になるのは、実は日本も同じです。ただし、個人の責任において、少数派になる自由が日本にはあるのです。そんなふうに思いながらも、私のほうからは何も彼らに言葉で伝えられませんでした。勝手気ままに農業をやっている私なんかを見て、自称韓国人の記者さんがどうしてそんなに感動してくれるのか、その辺の事情が当時の私にはよくわかりませんでした。

 やがて彼らは、一時間ほど取材をして、そのまま去っていきました。本当に彼らが韓国人だったのか、彼らの言っていたように、私が農作業をしている姿が韓国のテレビで放送されたのかどうかは、今になっても不明のままです。

 しかし、彼らが私に伝えてくれたことは、とても大切なことだと思っています。韓国と日本がお互いに異国であると認識しなければならない、ということです。つまり、現状では、両国の国民同士がお互いに理解が足りず、誤解し合っているということなのです。

 たとえば、日本人は、相手を理解すれば、相手と親密になれる、仲良くなれると考えています。けれども、現実には、相手を理解すればするほど、相手と適度な距離を置かざるを得なくなります。お互いの立場を尊重して、波風立てないようにするためにはそうするより仕方がないのです。

 その一方で、韓国人は、あまり日本人をライバル視しないほうがよいのかもしれません。現実を直視してもらえばわかることですが、日本は敵国でもライバル国でもなく、ただの隣国にすぎません。異国なのですから、いちいち日本人のやることに屈辱を感じて欲しくありません。私は、あらゆる反日感情の根っこにあるものは、そのような感情的なコンプレックス(あるいは劣等感)であることを知っています。

(その裏返しとして、日本人も、あまり韓国人のやることにいちいち神経をとがらしては、本当はいけないと思います。異国なのですから。)