私がこのブログを始めた本当の理由

 本当はもっと早い時期に、このブログを私が始めた理由を説明したかったのです。が、今年の私は公私共に忙しくて、その説明の機会をつかめませんでした。実は、現在も来年の畑の準備やら今年の収支の集計やらで、ヒマではありません。けれど毎日寒いので、体の調子を見ながら、余裕をみて作業したり休んだりしています。それで、その理由説明を忘れていることに気付きました。
 ひとことで言いますと、「私は怪しい人間ではありません。」という自己証明のために、このブログを始めました。近年、世の中は物騒になってきています。他人に迷惑がかからないことであるならば、いちいち他人に断らないで自分の意思でしても、誰も文句は言わないだろう。と、普通はみんな思うことでしょう。しかし、最近の世の中をいろいろ見ていると、誰かがとった無責任な行動が、はからずも他人を傷つけたり、最悪事件に発展したりすることが、一般的に多くなってきたような気がします。
 個人的なことと、その人が思っていても、第三者が見たら、違う見方でとられてしまったり、ダメなことであったりすることもあります。高度情報化社会になればなるほど、いろんな人間のいろんな考えや思いが知れて、社会的な進歩を感じます。しかし一方では、いわゆるタメ口では簡単に通じ合えない場合が増えて、誤解をなくすための努力が必要になり、ストレスを感じることも多くなったと思います。
 私も、人のことをどうこう言えないのですが、もしも、私のことを知りたい人がいて、私自身を隠して秘密にしておくことは、今の世の中全体の流れから見ても良くないことではないか、と今年になって思うようになりました。はたから見たら、私が何か社会から身を隠しているように見えて、それには何か理由があるのではないか、などと思われていたかもしれません。何か深い理由があって、素性を明かそうとしないのではないかと、まるでテレビドラマの中の登場人物かのように思われていたかもしれません。
 でも、本当は違います。私自身は、別に誰に素性を知られても困るということはありません。官公庁や民間会社につとめているわけではありませんから、誰かに名前や素性を知られて困ることはありません。誰かに知れてまずい家族関係とか人間関係もありませんから、何も困る理由はありません。もちろん詐欺師とか悪い人に知られるのは困りますが、それ以外ならば、いっこうにかまいません。もっとも、名が知られたところで私自身はギャラがもらえるわけではありませんから、何のメリットも無いと思っています。
 私は、テレビや新聞などのマス・メディア風に言えば、一般人男性に過ぎません。だから、一般人の中に隠れているように見えるのかもしれません。それは、あくまでもマス・メディア的な見方です。そのために、わけありの理由があって素性を隠していると思われて、人から怪しく思われることは、私の本意ではありません。私は、決して不可解な怪しい人間ではありません。それが、一番わかってもらいたいことです。
 そのことを前提にして述べたいことがあるのですが、敢えて名が知れないほうが都合がいいと最初から思っていた理由がありました。それは、私自身は農業という本業を持って、それで生計を立てているので、別の本業で生計を立てているプロの人たちの仕事の邪魔をしたり、迷惑をかけたりしてはいけない。ということでした。逆に何かの役に立つならば、社会奉仕の精神に反しないから大丈夫かな、くらいに思っていました。無理にも役に立ちたいといった押し付けがましいことは考えていませんでした。このブログ自体がそうですが、プロの人たちに迷惑がかからない範囲で、私自身が感じたことや思ったことや考えたことを表現できたらいいな、というつもりで書いています。
 このブログは、なるべく事実に即して書いているつもりです。私は有名人でも芸能人でもありませんから、ウソを書いても何の得にもなりません。ウソを書いて疑われるほうが、私にとっては損です。ですから、私の本業とプロフィールについては、なるべく事実に即して、フィクション無しで書いています。面白おかしく書いているように見えるかもしれませんが、誇張して書いているわけではありません。商売で書いているわけではなく、あくまでも私自身が読んで納得がいくわかりやすさを一番に考えています。
 あとは、私自身の表現力の問題だと思います。私は、30代の頃に、短編小説をいくつか作って、会社の同僚の何人かに読んでもらったことがありました。彼らの感想はいつも一致していて、「(君の小説は)表現力はすごいんだけれども、何を小説で言いたいのかわからないね。」というコメントでした。それを聞いて、私は、フィクションなどの作り話を書くと何を主張しているのかわからない文章になってしまうことを悟りました。フィクションなどの作り話を書かないほうが、私自身の持つ表現力を活かせることに気付きました。
 このブログの中で、時々話が脱線することがあります。本当は、カットするべきかなとは思います。しかし、私の考えや気持ちを隠さないために、あえてカットしないでそのまま記載することにしています。そして、このブログは、読んでみたい人に読んでいただく。私のほうも、書いてみたいことを書かせていただく。という感じでいいのではないか、と思います。
 ですから、私の場合、どういう人にこのブログを読んでいただいているかは、あえて気にしないことにしています。それゆえ、年末年始のあいさつも御座いませんが、何らかの必要性があるかぎり、このブログを続けていこうと思っています。