愛とは決して後悔しないこと!?

 前回の記事で『ある愛の詩』という映画のことを取り上げましたが、昔の映画なので若い人は直接観ていないと思います。よって、「愛とは決して後悔しないこと。」という名セリフが、映画を見た人にどんな影響があったか、ということも知らないと思います。そこで、今回はこの名セリフが映画を観た日本人に与えた影響を、私なりに補足説明したいと思います。
 前回の記事で、仲直りしたのだからあやまってくれなくていい、という解釈を私はしていると述べました。しかし、昔この映画のシーンを見た誰もがそのような解釈をしていなかったことは事実です。ジェニファーは女子大生といっても、音楽の勉強をしている学生だったので、いきなりこんな格言のような、哲学的なことを言うわけはないのですが、このセリフ一つで、映画的には引き締まった感じになることもまた事実でした。
 その背景には、日本人の欧米文化に対する憧れがあったと思います。アメリカ人の恋愛は、日本人の恋愛よりも格調高いと見られていました。実際に、アメリカ人と国際結婚した日本人に聞いてみれば、同じ人間なのですから、本当はそんなことは無いのです。が、アメリカ文化は、日本文化よりも格が上であるという暗黙の了解が当時はありました。従って、当時は愛の言葉一つとっても、日本人よりも格調高いのは当たり前に見られていたわけです。当時の人たちに「欧米か?」と頭を叩いたら、逆に殴られたことでしょう。
 ですから、当時の人たちは、この映画を観て、この言葉をすんなり受け入れました。人を好きになったり、愛してしまったら、その後で後悔したくなっても、好きになったことや愛したことを絶対後悔しちゃいけないんだ、と理解しました。つまり、たとえ仲たがいや喧嘩を相手としても、嘆いたりせず、後悔したりせずに、我慢して、辛い思いに耐えることが『愛』であり、崇高な人間の精神活動なのだ、と当時は見られていたようです。当時は、「愛は耐えること。」などという言葉も映画やテレビで使われていました。
 この言葉は、欧米文化の背景となっているキリスト教にも通じているため、さらに説得力を持っていました。私は、クリスチャンではありませんから、宗教的にまわりから良いと勧められて理解することはできませんでした。けれど、新約聖書の「相手に右の頬をなぐられたら、左の頬も相手に差し出しなさい。」というようなイエス・キリストの言葉と意味するところが同じであることは理解できました。相手から与えられた不幸を恨まない、仕返しをしない、という点で、内容が一致しています。これがユニークな考えであることは、私たちの日常生活が、毎日ハムラビ法典にあるように「目には目を。歯には歯を。」という言葉に従って、仕返しや責任のなすりあいばかりしている、多くの事実を省みれば明らかです。この点で、どんな文化もキリスト教文化にはかなわないのではないかと思われます。よって、『愛』が、希少価値のある、崇高な人間の精神活動だということにもなるのです。
 以上が、当時、この「愛とは決して後悔しないこと。」という言葉の背景にあったもののおおまかな説明です。この言葉は、現在でも、恋や夫婦喧嘩で辛い思いをしている人に、効力を発揮しているようです。『愛』とはそういうものだから、我慢しようとか、頑張ろうとか思って、人が元気を取り戻そうとする言葉なのです。