ビートルズの『抱きしめたい』を日本語カバーする

 "I Want To Hold Your Hand"という英語タイトルのこの曲は、日本では『抱きしめたい』という日本語訳のタイトルで余りにも有名です。どれくらい日本人に知られているかと申しますと、"hold your hand"の語句の意味が「抱きしめる」だと思っている人が意外に多いということから、その影響力が強かったことがわかります。
 英語の辞書で調べてみるとわかります。"hold a person's hand"は、例えば「(人に)ていねいな指導(精神的援助)をする」という意味です。また、"hold one's hand"となると、「(手を)控える」とか「がまんする」とかの意味です。もちろん、"hold your hand"というのは、直訳で「君の手を握る」という意味です。さらに、「君の手を押える」すなわち「君の行動をひきとどめる」などといった意味もあることがわかります。
 とすれば、「抱きしめたい」という日本語訳は誤訳なのかというと、そうではなくて、意訳と言えましょう。"hold hands with you"という似たような表現があります。それは、「(異性の)君と(愛情のしるしに)手を握り合う」という意味です。「僕は、異性の君と、愛情のしるしに手を握り合いたい。」と同じふうなニュアンスで考えてみれば、「君の手を握りしめたい。」とはどういうことなのか理解できることでしょう。現実的には、女性から痴漢に思われてしまうかもしれません。あくまでも、相手の女性の立場を尊重し理解した上で、"I want to (= I wanna) hold your hand."を「抱きしめたい。」という表現に翻訳することは、それほど間違ってはいないと思われます。
 ビートルズの"A Hard Day's Night"という曲にも、"hold me tight"(曲中では"feeling you holding me tight"と歌われています。)という語句が出てきます。「僕をしっかりと抱きしめてくれる」と一般に日本語訳されています。
 10代および20代の頃の私は、そのような日本語訳を少しの疑いもなく受け入れていました。当時の私は、ある日のこと、英文解釈の授業で使う英文テキストを予習していて、あることに気がつきました。その英文テキストには、"hold"という単語が数多く登場してきました。そして、私はこう思ったのです。「英語圏の外国人って、何て『抱く』のが好きなんだろう。」その頃の私は、ろくすっぽ英語の辞書に目も通さずに、"hold"という英単語の意味を「抱く」だと思い込んでいたのです。
 ところが、実際の授業に出席して、担当教授が日本語に訳すのを聴講していると、「ここの"hold him"は、『彼の(意見などの)ことを支持する』くらいの意味に訳すと、全体の意味が通ると思います。」などと教えてくれました。
 とすれば、前述の"hold me tight"は「僕(の心と体)をしっかりと支えてくれている」みたいな日本語訳もありだったと考えられます。けれども、当時そのようにはなりませんでした。それには、それなりの理由があったようです。
 ビートルズの音楽が日本で知られるようになった当時、こんな事情がありました。当時の日本人の多くは、日本の歌謡曲とは全く異質の洋楽だった、ビートルズの音楽を「いかれている」と思っていました。例えて言えば、それは、壊れていて、役立たない時計のようなものでした。そんなもの(ビートルズの楽曲)を聴いている人間は不良だアバズレだ、とさえ言われていました。
 おそらく、見たことも聞いたこともなかったビートルズの音楽とその容姿(ルックス)に、若い日本女性がキャーキャー言って、ついには失神してしまうほど感動する。そのようなビートルズの斬新なイメージが、当時はあったと思います。「帰宅した家で、一日の仕事で疲れ果てた僕の身も心も、しっかりと君は支えてくれる。」といった、『家族愛』重視のやや所帯じみた表現よりも、「家に帰った僕をぎゅっと君が抱きしめてくれる。」などと刺激的に表現したほうが、当時の日本の若い女性たちには受け入れやすかったと言えましょう。
 しかしながら、現在のネットでは、"I wanna hold your hand"を「抱きしめたい」とまで訳してよいものかどうか、少しばかり疑問視する意見があるようです。その曲中に"when I touch you, I feel happy inside"(「君にタッチするくらい(の仲に)になれたら幸せと、内心、感じているのさ。」くらいの意味。)とあるように、もしも相手の女性にその気がなければ、痴漢かストーカーに間違われてしまいそうな、そのギリギリの所を表現している感じがします。
 そこで、私はこの曲を日本語で歌えるようにしたら、どんなふうになるだろうかと思いました。そして、それを実験して明らかにみようと考えたのです。その成果を以下に示してみましょう。



        『愛を込めて』


こちらから 言い出そうか
わかってるよね
そう君に 伝えよう
愛を込めて 愛を込めて
愛を込めて


君からも 求めてよ
つきあっていいと
そう僕に 求めてよ
愛してくれと 愛して欲しい〜と
愛をこめて


愛し合えたならば いいな
君が愛(いと)しのは 本当さ 本当さ 本当さ!


もうハッキリ しているさ
わかってるはず
そう僕は 伝えよう
愛を込めて 愛を込めて
愛を込めて


愛し合えたならば いいな
君が愛しのさ 本当さ 本当さ 本当さ!


もうすでに 明らかさ
わかってるはず
そう僕は 気づいてる
愛を込めて 愛を込めて
愛を込めて… 愛を込めて!!



 "I wanna hold your hand"という英語の歌詞を、そのまま直訳すると「君の手を握りしめたい」みたいな日本語として艶めかしい表現になってしまいます。その表現をぼかしつつ、もっと恋愛(love)っぽく「愛を込めて」という表現にしてみました。そのために注意したことは、"hold"という言葉自体は「抱く」ではなく「支える」や「支持する」という意味であって、相手の女性を大切に扱うようなニュアンスおよび表現を心がける必要がありました。
 昨今、話題になっている、『セクハラやじ』は、その反面教師として、大いに役立ちました。偶然にも、『セクハラやじ』に「お」を付けると、『セクハラおやじ』になります。良い悪いは別として、『セクハラやじ』は、やはり日本人の腹黒さ(ねじくれた心)から生まれていると思います。そんなことを言っている私こそ、かなり腹黒い(心がねじくれている)と自負しております。このことは、日本人にとってかなり根深い問題であるだけに、是非とも別の機会に詳しく記述してみようと思っております。
 元の話題に戻りますが、やはりビートルズには、「その音楽と精神が、いかれている」などという批判があるものの、イギリス紳士(gentleman ジェントルマン)であることを何処かしら持ち合わせているようにも感じられます。確かに、これまでの日本では、ビートルズの『いかれた不良のような音楽』ばかりが気になってしまいがちでした。けれども、彼らメンバー一人一人の家族に対する愛とか、ジェントルマンの精神とか、彼らには、現在の私たちが学ぶべきものがあることもまた忘れてはいけないと思います。