『金太郎』について私の知っていること

 先日、深夜の番組欄をチェックしていたら『予告王』なる番組をたまたま見つけました。どんな番組だろうかと見てみたら、これがまた凄い内容でした。映画の予告を制作する会社のクリエイターたちと、PVやCMや映画の映像クリエーターたちが、誰もが知っている昔話をテーマにして、その『予告編』の映像を制作して対決をしていました。その勝敗は、その『予告編』の映像を見た観客100人の多数決で、予告のプロと映像のプロのどちらの作品が良かったかで決まりました。どちらの映像作品が、より続きを見たくなったかで決まったわけです。
 昔話のテーマは、『金太郎』『浦島太郎』『鶴の恩返し』でした。その三番目の『鶴の恩返し』では、サスペンスものとホラーものの『予告』映像対決でしたが、どちらも観客にとっては驚きの映像作品でした。(もちろん、他の作品にも私は同様に驚かされました。)例えば、謎の女が鶴に変身するさまがストレートに映像化されるとホラーになるなんて、私は思ってもみませんでした。
 二番目の対決のテーマ『浦島太郎』は、ファンタジーやエロスが予告映像の中の含まれていました。浦島太郎が助けた亀や、竜宮城の乙姫や、玉手箱の扱い方など、内容が盛り沢山で、短時間の予告映像に収まりきれないのではないかと思われましたが、結局、先攻のクリエーターさんの「あなたには開ける勇気があるか!?」という『玉手箱ストラップ』の広告映像が際立っていました。
 もっとも、その対決に、私は少しだけ不満な点が(本当はそれほど不満でもなかったかもしれませんが)ありました。その先攻後攻のクリエーターさんたちは共に女性でしたが、そのせいかこの昔話に特徴的なタイムスリップについては触れていませんでした。「主人公の浦島太郎は、竜宮城でいい気になって過ごしているうちに、時が飛ぶように過ぎてしまったため、彼が地上に戻ってみると、彼を知っている人は誰もいなかった。」という主人公の孤立状態を、例えば映画『猿の惑星』のラストシーンみたいに描く手もあったかもしれません。このように見てもわかることですが、この『浦島太郎』というテーマは、予告映像のテーマとしては今回一番難しかったのではないかと思いました。
 さて、本題に入りましょう。正直言って、私はこの年齢になっても、昔話としての『金太郎』の話をよく知りません。「まさかり担(かつ)いだ金太郎/熊にまたがり乗馬のけいこ」という歌詞は、よく知っています。私が子供の頃には、端午の節句(5月5日ごろ)あたりに、屋外に鯉のぼりを上げる代わりに、金太郎の人形が入ったガラスケースを、しまい込んだ押し入れからいくつも出して、床の間に飾っていました。それらは、祖父の親戚や知人からのもらい物だったそうです。それらの金太郎人形は、大きな鯉を釣り上げたり、熊と相撲を取って投げ飛ばしたり、馬の代わりに熊にまたがっていたりしていました。
 女の子みたいなおかっぱ頭で、胴に『金』と書いた腹巻き(胴巻き?)をした、手足のふっくらとした力持ちの、幼い男の子というのが、金太郎についての私のイメージでした。大人たちからは「金太郎さんみたいに、素直で優しくて元気な子供に育ってもらいたい。」という願望を、子供の頃の私は聞いた記憶があります。おそらく、昔の子供たちにとって、それはアイドル(偶像)的な存在だったと思います。その意味では、先攻のクリエーターさんが描いた『金太郎』像は、幼い男の子の可愛(かわい)らしさはありませんが、強い男性のイメージでほぼ『金太郎』のイメージに当てはまっていました。一般的に、金太郎というと、心身共に強靭な男の子のイメージが浮かびます。例えて言えば、その強さは、熊と相撲をとって、投げ飛ばしてしまう感じです。
 しかし意外なことに、私の好みとしては、後攻のPV映像クリエーターさんの作品が気に入ってしまいました。私の心が素直でなく、ねじくれている証拠かもしれませんが、そっちの映像作品がオシャレに思えて仕方がありませんでした。ステッカー付きのまさかりを引きずって、金太郎を倒しに会いに行く少女(若い女性)という設定が意外とハマっていると思いました。
 こんなことをしては、当該するクリエーターさんに失礼だとは思いましたが、その作品を私なりにいじくって(アレンジして)みたくなりました。確かに、私より若い世代のクリエーターさんたちにとって『金太郎』は、遠い昔のおとぎ話の中の『未知なる存在』なのかもしれません。その『金太郎』を暗い映像やシルエットで表現しているクリエーターさんたちの描き方を見ると、私にはそう感じられました。その一方、彼らよりも少しだけ『金太郎』に関する予備知識というか経験がある、というのが現在の私の視点もしくは立場だと言えます。
 したがって、私は次のようにアレンジしてみたいと思いました。やはり、ここは思い切って、男の子であったはずの『金太郎』を若い女性に変えてしまうべきです。そして、金太郎が熊に会いに行く、というストーリーを私は勝手に考えてみました。すると、以下はこうなります。人間の頭蓋骨を熊の後頭部(?)に変えて、「きみの後頭部に(マサカリを振り下ろしたい。)」という意味で言ってみたいところです。プロのクリエーターさんはプライドがあってできないかもしれませんが、本物の熊の代わりに大人気キャラクターの『くまモン』(熊のモンスター?)を登場させたいところです。「ひさしぶりだね、金太郎。」というキャッチコピーは、「ひさしぶりだね。(…くまモン。)」などと私ならしてみると思います。
 私の場合、単純に『くまモン』の着ぐるみを映像で観てみたいだけかもしれません。が、これで現代版の若い女性の『金太郎』が実は、『くまモン』と何らかの関係があるということを『予告編』で観客に公表することができると思いました。彼女が、過去に『くまモン』と何があったのか、再会した『くまモン』をどういうふうに扱うのかが、その『予告編』の先の見どころとなると思います。
 以上私の勝手気ままな想像で申しわけありませんでしたが、それをやってみて、一つだけわかったことがありました。誰もが知っているはずの昔のおとぎ話を、映画の『予告編』の映像にしてみると、意外と知らなかったことがあるということです。世間一般に、映画のリメイク(remake)版などがありますが、どうしても前作のオマージュになってしまうことが多くて、観客に新たな感動や楽しみを呼び起こすことが難しいようです。
 それと比べて、今回のやり方は、誰もが大まかなあらすじを知っているはずなのに、見方や表現の仕方で、今までとは全く違った印象の作品になる、という可能性があります。また、それによって、遠い昔のおとぎ話に関心を持って、かつそれを改めて理解できる、という可能性もあります。それらの可能性からは、いずれも何らかの意義が感じられます。このように、「知っている」ようで「よく知らなかった」ことを「改めて知る」ということは、人間にとって心地よいことなのかもしれません。