二十歳の頃に見た映画 『ある愛の詩』

"Love means never having to say you're sorry."(ジェニファーがオリバーに言った言葉)
 私が二十歳の頃、よく観た映画の一つに『ある愛の詩』("Love Story" 1970年)がありました。確か、テレビで日本語吹き替えで見たことがありました。三浦友和さんと山口百恵さんの吹き替えだったと思います。私はさらに、文京区の後楽園ホールにあった名画座へ何度も見に行った記憶があります。学生結婚をした二人のうち、女性のほうが白血病で死んでしまう映画でした。真面目な学生で、女性と付き合った事の無い私は、学校の帰り道に水道橋の駅を下車して、この手の欲求不満を解消するために、安い料金を払って映画をよく観に行ったものでした。
 男性のオリバーがすごい金持ちの息子で、父親と恥ずかしげもなく仲たがいしたり、さらに、ジェニファーみたいな素敵な女性に出会って、学生の分際で結婚できるなんて、随分自由でいいなあ、と私はうらやましく思いました。私にとっては、映画の中の世界が雲の上の世界に等しかったので、あまり真剣に観ていませんでした。
 ところが、オリバーが下らぬ意地を張ってジェニファーと喧嘩をしてしまい、彼女が家を飛び出して行ってしまって、さあ大変。夫婦喧嘩は犬も食わぬ、とはよく言ったものです。どこを探しても、彼女は見つかりません。がっかりして、家に帰ってきたオリバーの目の前に、彼女が寒さで震えながら玄関にうずくまっている姿が…。(何だか、淀川長治さんの映画解説みたいになってしまいました。)
 そこで、冒頭にあげた名セリフが、ジェニファーの口から飛び出すのです。「愛とは決して後悔しないこと(なのよ)。」というのが、その日本語訳です。私は、山口百恵さんの声でそのセリフを聞きましたし、名画座でも字幕で何度も見ています。当時の若い私は、この言葉を耳と目で受け止めて、少しも疑問を持ちませんでした。
 しかし、今になって三十年近くも前に見たこのシーンを、レンタルビデオで見直してみると、どうもおかしい気がするのです。作品として出来上がっているものに、いちゃもんをつけるのは良くないことかもしれません。ジェニファーは実家が金持ちでなくても女子大生なのだから、「愛とは決して後悔しないこと。」とちょっと偉そうなことをいってもいいじゃないか、と考えるのは間違えではありません。でも、何かしっくり来ないのです。
 あらかじめ、断っておきますが、私は翻訳者にケチをつける気は毛頭ありません。素晴しい日本語訳だと思っていますし、それ以外の文句は浮かばないと思います。きっと私の心にしっくり来ないのは、現在の私の気まぐれに過ぎないのかもしれません。それでも、私の感じたままを申し上げるならば、ものすごい意訳をして次のような表現になります。
 「ごめん。悪かった。」とあやまる若い夫のオリバーに、ジェニファーは泣きながら次のように言葉を返すのです。
「(仲の悪くない間柄なのだから)『ごめん。悪かった。』なんて、あやまらないでよ。」
もう仲直りしたのと同じなのだから、あやまってもらう必要なんか無い、ということを言いたかったのではないかと、私は解釈しました。「愛とは決して…」の名文句が消えてしまいましたが、夫婦や家族の対話としてはこれで十分なのではないかと、今の私ならば考えます。
 それにしても、五十近くになって、二十前後の若い男女の会話にあれこれ口をはさむなんて、どうかしています。でも、若い頃に見た映画でよくわからなかったことが、今頃になって昔と違った解釈や理解ができるということは、ある意味で幸せなことかもしれない。と、一人でひそかに思っています。