私のプロフィール あらかじめドラマの原作を読まない

 私は、テレビや映画のドラマの原作はなるべく読まないようにしています。原作の小説と、テレビや映画のドラマは作品としては別々ではないかと考えています。以前、学校の国語の授業で『坊ちゃん』を読んで、たまたま映画の『坊ちゃん』を見たことがありました。教科書の小説と映画の物語の違いが余りに大きくてがっかりしてしまいました。でも、『野菊の墓』の場合だけは例外で、小説も映画も両方良かったです。
 私は、視聴者の立場からそれらを見ているため、テレビや映画を見ている間は、原作ではこれはこうだっだ、といったことは考えたくないのです。ドラマそのものに集中したいのです。そんなに目を凝らして見ているわけではありません。ここは原作と同じだとか、ここは原作と違っているとか考えるのは、別の人にお願いして、私自身は原作があろうと無かろうと、ドラマはドラマとして見ています。
 それでも、はたから見れば、原作をあらかじめ読んでるんじゃないの、と思われるかもしれませんが、たまたまそう思われるだけのことで、私の場合、まったく読んでいません。意外かもしれませんが、私は、日本の、特に現代小説を読むのが大嫌いなのです。そのくせ、テレビドラマ化されると、喜んで見てしまいます。
 唯一の例外は、石川達三の『青春の蹉跌』かもしれませんが、小説が読み終わる前に映画の上映が終わってしまったので、結局見に行けませんでした。
 あと、逆に、テレビや映画を見て感動したので原作を読んでみたのが、『風と共に去りぬ』でした。通常このパターンは、原作を読んでがっかりすることが多いのですが、この映画の場合は、原作の小説を翻訳物で読んでみると、テレビや映画の理解がさらに深まります。『風と共に去りぬ』の原作を読むと、レット・バトラーよりも、アシュレーとのつながりがスカーレットにはいろいろとあったことがわかりました。
 たとえば、スカーレットのお母さんには、フィリップスという従兄がいて、二人は結ばれたかったのですがそれを果たせませんでした。失意の彼女は、アイルランド出身の男と結婚して、スカーレットが生まれます。アシュレーとメラニーがいとこ同士で結婚するのを目の当たりにしたスカーレットは、アシュレーへの恋慕とは別に、このいとこ同士の結婚に母の果たせなかった夢を重ねていた、というようなセンチメンタルなことが描かれていました。こうした原作のエピソードは、映画では時間的に入りきらなかったようでカットされていました。原作を読むことで、スカーレットのアシュレーへの思いが濃かったことが理解できて、映画がさらに面白くなりました。
 もちろん映画では、レット・バトラーとスカーレットの関係の方が面白いのですが、その詳しい話は、またの機会に譲ります。この映画の場合も、長編小説の原作を読んでから映画を見たのでは、ストーリーが本当に風と共に去っていってしまうくらい速く過ぎて終わってしまうことでしょう。映画をしっかり見てから、原作はその理解のために後で読むというパターンで、この場合は良かったようです。