私のプロフィール 家族の中の孤独

 今回、私は敢えて身内の恥をさらそうと思います。なぜならば、そうしなければ、私自身一歩も先に進めないと考えたからです。私は長い間、この問題に苦しみ続けて、その後遺症は、東京の実家の存続の危機を招いています。現在の私自身としては、実家の存続は誰か住む人が新たに現れない限り無理であり、現在家督を継いでいる母が亡くなった場合は処分する方向にもって行こうかと考えています。確かに、私の母が言うとおり、東京の実家は、東京近辺で働く人にとっては、最適の場所にあります。私もかつては、東京近辺で働いていたのでその便利さはよくわかります。しかし、母は今回またしても、家のことばかり気にしていて、そこに住む人間の気持ちとかをまったく考えていないのです。大家族が住めるあれだけ大きな家を、人の幸せのために生かせないなんて情けないことです。実家に住んでいた人間たちは、月日と共に一人、また一人と去っていったのです。私の家族は、戸籍上家族であっても、昔から心はみんなバラバラだったのです。家を守ることばかり考えるあまり、その家に住む人間一人一人の希望や夢を抱くことをあきらめさせてきました。そのツケが今になってはっきりと現れてしまったのです。私は、ずっと前からこの問題を気にかけてはいたのですが、自分一人ではどうすることもできませんでした。
 やっと最近になって、現在東京の実家に住んでいる母も妹も、勤め先の会社の為に別居中の弟も、黒田の家の将来を心配し始めるようになりました。この問題の大元が、自分たちそれぞれの心の中にあることを知らず、自分たちの至らない部分のことを棚にあげて、実家の、まさに家そのものを心配しだしたのです。確かに、自分自身が生まれ、育ち、生活していた家がなくなってしまうかもしれない、と考えることは淋しいことかもしれません。何とかならないかと、思うのが人情かもしれません。だけど、その原因は私が黒田家を継げる力が無いからだ、と言いたいのであれば、仕方が無い。私は身内の恥を多くの人たちの前にさらけ出して、私自身も悪いけど、それには事情があったのだということを知ってもらうしかないと考えたのです。私の考えでは、この問題の根本が解決しない限り、実家を誰が継いでもうまくいかないのです。
 まず、私と家族の関係について説明します。私は気が合う性格の人間が家族にいないために、ずっとつらい思いをしてきました。家族にそんな思いを抱くなんて変じゃないかと、思うことでしょう。後で話しますが、家族の人間関係を壊すような原因が、私たちの家族にはありました。具体的にどういうことかと申しますと、相手と余りに性格や趣味趣向が違うと、こちらから言った事が伝わらなかったり、誤解されたり、反対の意味にとられたりします。反対に、相手から言われた事を正しく理解できなかったり、誤解してしまいます。簡単な会話が成立しないことに、私はまず苦しみました。幼児の頃、私は母に「おしっこをしたい。」と伝えたのに、母は勘違いして、私はジュースを沢山飲まされました。当然おなかが痛くなりました。それは、私と母との間だけの問題ではありませんでした。私の妹などは、もっとひどいことに膀胱炎になってしまいました。私の弟は、人と話す時によくどもるのですが、気持ちや考えが相手に伝わりそうにないなと先に思ってしまう時に必ずどもります。母は、ちゃんと聴いてあげる姿勢を弟に見せてあげなかったようです。私の母は、なぜこんなだったのか。別に心の病をかかえていたわけではありません。祖父や祖母の監視の目を気にし過ぎて、身近にいる自分の子供たちへの注意力が散漫になっていたのです。私は、私の父が亡くなった後で長い時間を母との話し合いに費やしました。その結果、過剰なまでに祖父と祖母の監視の目を気にしていた母の姿が、解かってしまったのです。祖父や祖母の評価が悪ければ、黒田の家を追い出されてしまう。長野の松代の母の実家からは、石にかじりついても帰ってくるなと言われていたそうです。だから、私の母は、子供との絆よりも、目上の祖父と祖母の絆を選びました。介護もしっかり務めて、彼らに感謝までされました。それは社会的にも立派なことだったでしょう。しかし、そのために犠牲にされた子供たちのことを母は知る由もありませんでした。子供たちの心にもっと近づいていれば、我が子との似たような性格や趣味趣向もわかって、お互いに気が合ったり、親しみがわいたりしたはずです。その経験が、私の母にも子供たちにもありません。これは昔のことだと誰もが言うかもしれませんが、実は現在につながっています。私より三歳年下の妹は今でも時々体調が悪くなるひ弱な体ですし、私より六歳年下の弟は今でも時々どもります。誰も母のせいにはしていませんが、疑惑は一生消えないと思います。
 ところで、人は、相手と余りに考えが違うと、それを理解してもらうために、話し合いに膨大な時間を費やします。思春期・青年期の私は、母と話しをしても、いつも平行線のままで、一度も意見や主張が合いませんでした。
 しかも、そこへ父が割り込んで、母と話しをしていたのが、いつの間にか父を相手にしていることになりました。そこまでは、普通の家庭にありそうな光景でしょう。しかし、ここからが違います。私が父と向かい合えなくなった原因は、ここから始まりました。
(つづく)