私のプロフィール 映画監督みたいな友人(第1回)

 中学二年の時、私は個性の強い一人のクラスメートと友達でした。寺田君と言って、成績は中程度で大したことは無かったのですが、体が私より大きくて、心身共にしっかりしていて頼りがいのある男でした。最近の俳優さんで言えば谷原章介さんによく似ていて、ハンサムでしたが、なぜか同級生の女の子にはもてませんでした。本人も、全然そのことを気にしていないので、私はちょっと不思議に思ったことがありました。今になって考えてみると、彼にはお姉さんがいて、(私は彼のお姉さんに会ったことはありませんが)異性に対する特別な意識が薄かったのではないかと思います。それに、勉強そっちのけで夢中になっていることがあるようでした。
 彼の話によると、幼稚園の時に私と同じ組だったそうです。幼稚園の頃の私は、まだ自我に目覚めていなかったので、彼のことは全く憶えていませんでした。ところが一方、彼は幼稚園の頃の記憶がはっきりしていて、黒田はあの時こうだった、ああだったと私に教えてくれました。
 小さい頃からそんなに記憶力が良くて、しかも考えがしっかりしていそうなのに、勉強が人並みで、テストの結果もそれほど目立つほどでもない、というのが、彼の特徴でした。本当に、ユニークな人物でした。
 でも、彼の側からすると、私のほうが『変わっている』と思っていたかもしれません。その頃の私は、自己主張が下手で、他人から誤解されることが少なくありませんでした。今でもまだ、その欠点が十分に克服されているとは言えませんが、10代の若い頃の私は、同級生一般の考え方からはかなりずれていたような気がします。下手なことを口にすると、まわりから反発されそうで、言えなかった。自分の気持ちを他人にわかってもらうのが不可能なくらい、おかしなことを考えていたような気がします。
 ところで、学級内のグループ分けで寺田君と私は同じグループになり、新聞係をやることになりました。その結果、みんなの予想を超えた、まともでない学級新聞ができあがりました。私は、次回どうなるかわからない連載小説を学級新聞に書きました。同級生の読者の反応を見てから、次回のあらすじや結末を書くという試みでした。幸いなことに、学級担任の先生が国語の先生だったので、何も文句を言われませんでした。
 一方、寺田君は、同じ紙面で外国のアクション映画の紹介を載せました。銃を構えた007とか、ヌンチャクを振り回す役者さんの写真を映画雑誌から切り抜いて、学級新聞に貼ったのです。余りの斬新さと物珍しさに、学級内の男子生徒はみんな大騒ぎでした。担任の国語の先生も、彼の大胆さにあきれてしまいました。私の下手くそな連載小説と同様、まあ中学二年生のすることだから大したことないし、大目に見てやろうと思ったのでしょう。面白いね、と一言だけコメントしてくれました。
 寺田君は、それほどまでに外国映画が好きでした。ある日、「黒田。これ読め。」と言って、『かもめのジョナサン』の翻訳本を私にすすめました。また、井上陽水さんとビートルズの音楽が好きだった彼は、学校にそれらのLPレコードを次々に持ってきて、「黒田。これ聞け。」と私にすすめるのでした。人のいい私は、誠実にそれらを鑑賞して彼に返却しました。私は、翻訳物の方が純文学よりも好きでしたし、フォークやロックの方がクラシックよりも好きでした。本やレコードを借りさせられたことに、迷惑はしませんでした。しかし、彼がそれらの作品のどこに感銘を受けたのかは、若い私には想像ができませんでした。それが彼の自己主張だと気がついたのは、ずっと後になってからだと思います。(つづく)