『愛と誠』のイケメンボイス

 先日たまたまNHKのEテレの『Rの法則』という番組で《イケメンボイス 女子がキュンとするヒーローの条件》という内容を観ました。「ある日、一人の女子が不良に絡(から)まれていた。彼女を助けるために、ヒーロー男子が立ち向かう。しかし、相手が強く大ピンチ!そんな時、男子が言った一言とは?」というのが、この番組で取り上げた設問でした。
 イケメンボイスのヒーローとして鳴らした男の声優さんが、7人の10代の女子審査員を相手に、一人につき一点で7点満点を狙いました。ところが、誰がやっても、実際には6点を一回獲得するのが精一杯でした。そうかと思うと、この番組の終わりの方で、女子がちょっとしたことで男子にキュンとしてしまう実例が紹介されるなど、そのチグハグな感じが私には不服でした。
 そこで、私は思いつきました。《女子がキュンとするヒーローの条件》を私なりに考え直してみよう。現に、その番組で最高の6点を獲得したイケメンの言葉を私は聴いて、感じるものがありました。そう、あれは『愛と誠』だ、と私は思いました。
 『愛と誠』とは、私が中学生の頃に大人気だった漫画の一つで、その原作があの『巨人の星』や『あしたのジョー』や『タイガーマスク』や『空手バカ一代』の原作者としても有名だった梶原一騎さんでした。『愛と誠』最終巻のあとがきに、梶原一騎さんは、この漫画がどうして生まれたかを述べていらっしゃいます。興味のある人は、まんが喫茶などでこの作品を探して、その最終巻に付いている梶原一騎さんのあとがきを読んでみるといいと思います。従来の恋愛ものとは違う、恋愛ドラマの作品を作ってみたかったという、梶原一騎さんのもくろみ通り、この『愛と誠』は、40数年前に大当たりして、コミックスだけでなく映画三本とテレビドラマにもなりました。
 当時中学生だった私は、男の同級生からしばしばこんなことを言われました。「黒田くん、石清水に似ているね。あのセリフ言ってくれよ。」と、せがまれました。中学生の頃の私は、ひ弱(よわ)でメガネをかけていたので、『愛と誠』に登場する『石清水弘』という青年に見た目がそっくりだったのです。その石清水のセリフとは、「君のためなら死ねる。」というものでした。
 上記の『Rの法則』の課題にあてはめてみると、一人の女子を助けようとして、不良たちからぼこぼこにされた後で、このセリフを口にするわけです。身代わりになってもらった女子は「私なんかの代わりに、どうしてなの?」と叫ぶことでしょう。それを聞いたヒーロー男子が石清水だったらば、メガネを半ば顔からずり落としながら「君のためなら死ねる…。」と言うわけです。
 しかしながら、現代の女子たちの評価は、厳しいかもしれません。「気持ち悪〜い」と一斉に×点の札を上げて、0点なのかもしれません。そういうキャラクターだから、仕方がないのかもしれません。
 私は、そんな岩清水くんの弁護をしたいと思います。この『愛と誠』の本編をコミックスで読んでみるとわかりますが、彼は主人公の早乙女愛の精神的な支えになっていました。彼女を陰で支えていたのですが、最後までそれは報われることはありませんでした。けれども、彼女を愛していながら、彼女に振り向いてもらえないことを恨まず、あっさりとあきらめる所は、本当に男らしく、誠実さが感じられます。彼こそ、この漫画において、『愛』と『誠』を同時に具現して、ただ一人無傷(むきず)で終わった『影の主人公』だったのです。(40数年前も現代もそうですが、10代の女子には、そこのところは理解できないものなのでしょう。「気持ち悪〜い」で済んでしまっても仕方がないと言えます。)
 でも、やっぱり、『愛と誠』のイケメンと言ったら、太賀誠です。余談ですが、『太賀誠』という名前は、『タイガーマスク』という名前に限りなく近いように思えます。これは私の妄想ですが、タイガーマスクが正体をひた隠しにしていたように、太賀誠も本心をひた隠しにしていたように思われます。それが彼らに共通した『誠』つまり『男』であったと見ることができます。
 稚拙な私の空想によって、ヒーロー男子が太賀誠だったらどうなるか、上記の『Rの法則』の課題を当てはめてみることにしましょう。まず「俺がお前を助けるのは、『女の子は弱いから』助けてあげなきゃいけないと思うからなんだ。」などと言いそうです。また、不良たちにぼこぼこされた後で、「『痛めつけられる相手を女子に代わってほしい。』と命乞いするならば、お前を開放してやってもかまわないぞ。」と不良たちから交換条件を持ちかけられても、「あの女子の叫び声が、恩着せがましくて、俺はいたたまれねえ。あいつを、こんな俺から引き離してくれ。」と断固、言い張るのです。
 これに対して、現代の10代の女子は、どんな評価を下すでしょうか。それは、私にもわかりません。ただ、彼女らのほぼ親の世代に当たる、40数年前の女子たちは、そんな太賀誠みたいなヒーローの登場する『愛と誠』を、胸キュンしていて読んでいただろうことは、想像に難(かた)くありません。
 梶原一騎さんの前述のあとがきによれば、当時、「花園スケバングループに入りたい。」とファンレターに書いてくる女子も少なくなかったそうです。その『花園スケバングループ』というのは、『愛と誠』の劇中で、花園実業高校の影の大番長こと高原由紀の率いる不良スケバングループで、当初は太賀誠や早乙女愛と敵対していた勢力でした。私の深読みかもしれませんが、彼女らの一員になって、太賀誠や早乙女愛のような人物たちと何らかの接点を持ってみたい、つまり、絡(から)みたい、という一種の『あこがれ』が、そのファンレターの文面からは読み取れました。
 それにしても、今回の『Rの法則』の課題は、現代的には、かなり難しい問題であると思います。それだけではありません。『愛と誠』という作品さえ、現代的に観て考えてみると、よくわからないかもしれません。実は、この漫画が40数年前に発表された当時の、世間一般的な恋愛感情から見ても、『愛』と『誠』の感情あるいは精神がやや古く感じられたようです。しかし、かえってそのことが、前述の現代の難問を考える上で、何らかのヒントを与えてくれることは確かです。「愛は平和ではなく戦いである」とか「みずからを捨てて、かからねばならない」とかいう言葉に、それは端的に示されています。従って、『愛と誠』のような作品を踏まえて、女子を本当に胸キュンさせるくらいの、ヒーロー男子のイケメンボイスをもう一度考え直してみることは、現代人にとっては何かしらプラスになることに思えます。