私の本業 初めての米作りに挑戦して

 昨年、私はちょうど今頃、生まれて初めて米作りに挑戦しました。なにぶんにも初めてで、米作りに関して何も知りませんでした。地元の85歳のおじいさんからいろいろと注意され、アドバイスされながら、周りの人たちからもいろいろと聞きながら、また、いろいろと手伝ってもらいながら、稲の栽培を手探り状態で続けていました。
 いつどんなタイミングで何をすればいいのか、聞いていながら、いざ自分で実行しようとすると、過去に経験していないことが災いして、しくじりはしないかと心配になってしまうのです。さらに、他にも不安にさせられることがありました。地元の人からいくら聞いてもわからない。以前やっていた人が中途で耕作放棄をした田んぼのため、雑草の種がひどく残っていたり、稲をダメにする『いもち病』が残っていました。稲の雑草と病気の対策をどのタイミングでどうやったらいいのか、わからないうちに、雑草は無数に生えてくるし、いもち病も出てきました。
 ある日、田んぼの近くの畑から監視をしていた自治会長さんから、「何をやっているんだ。ダメになっちゃうぞ。」と私は叱られてしまいました。それで、私はやっと初めて雑草と病気の駆除が必要だということに気づきました。
 以前、その自治会長さんからは「もし田んぼの管理を怠って、雑草を生やかしていたら、ここでの米作りは今年一年だけにさせてもらうよ。来年は作らせないぞ。」と厳しく言い渡されていました。
 それと言うのも、自治会長さんは農業委員でもあり、地域の活性化を第一に考えている人でした。耕地面積あたりの収穫量と収入を考えてみると、稲を栽培するよりも野菜のほうが手っ取り早くお金になります。よって、菅平高原の大規模農家さんを招致して、田んぼをつぶしてレタス畑に変えてしまうほうが、地元の産地振興にもJAの儲けにも良いと考えてらっしゃいました。 しかし、地元の人たちからは、それでは困るという意見もありました。ひとたび田んぼを畑に変えてしまうと、元の田んぼに戻すのに何年もかかることや、地元に根づいていない人に耕地を貸すと土地の管理が粗雑になるなどの問題が懸念されました。私は、地元の85歳のおじいさんのそうした意見に同調して、昨年からその田んぼの米作りをひきうけました。が、それと同時に、菅平高原の大農家の肩をもつ、農業委員の自治会長さんから厳しい目で監視されるようになりました。
 結局、私は、地元の人たちからすれば『よそ者』ですから、いくら農業の担い手で来たからといっても、自己の主義主張をそう簡単に認めてもらえるはずがありません。一方、菅平高原の大規模農家さんは一昨年初めてこちらへ来ました。機械化された農業と人海戦術で、1年目にしてレタスでガッポリ儲けました。その実績にものをいわせて、もっと耕地がほしいと地元のJAと農業委員に働きかけてきました。そんな状況下では、米作りに実績のない私などは軽視されても仕方がなかったのです。
 幸い、昨年はレタスの生産過剰のために価格が暴落し、出荷調整により豊作レタスの半分しか大農家さんは出荷できませんでした。その大農家さんの2年目の挫折によって、私の立場は少し良くなりました。地道に頑張った私の米作りは、大きな失敗や損失が無かった分を少なからず評価していただけたようです。
 そういえば、去年、私の田んぼをみてから農業委員の自治会長さんが怒った形相で、きゅうり栽培作業中の私の前に現れました。そして、「いつまでも田んぼに水をためてたらダメじゃねえか。もっと早いうちに水を落として中干しをしないと、稲が全部倒れちまうぞ。」と、きつく注意されました。私は、初めてで何も知らなかったので、中干しと言われても理解できなくて、その場であたふたしてしまいました。とりあえず、「教えて下さって、有難うございます。さっそく水を落とします。」と謝って、すぐに田んぼから水を落とす作業に優先してかかりました。
 そのことを、今年の年度始めの直売所会議に出席した時に、自治会長さんから突っ込まれました。「昨年、中干しが遅れたようだから、今年は気をつけろよ。」と言われました。つまり、昨年はまあまあの結果で良かったであろうが、今年も気を抜かずにやれよ、とはっぱを掛けられたのだと思いました。
 人間、誰だって、最初から何でもうまくできる人はいないと思います。たまたま最初からうまくいく幸運に恵まれる人はいますけど、やっぱりそれはまぐれに過ぎないと思います。要領の良さを過信するよりも、苦労して地道に努力することが大切です。そして、何かを必ず掴み取ることを忘れてはいけません。
 私が米作りに挑戦したことの本当の目的は、稲ワラを手に入れることにありました。お米を売ってお金にすることが、主目的だったのではありません。きゅうりやトマトなどの野菜の栽培で、地面に敷く大量のワラが欲しかったのです。私にとっては、そのための米作りだったのです。
 しかしながら、目的が何であれ、米作りの仕方が変わるわけではありません。米作りは、やっぱり米作りです。今年は去年よりも、技術的にもちゃんと作ってやろうと思いました。