夕日の無い赤い空

 昨年の田んぼの倍の広さの田んぼから、稲わらを軽トラで運ぶ作業を始めて今日で4日目になります。そして、その作業が今日で終わりました。あとは、田んぼのまわりの草刈りをして、トラクターで田んぼの中を起こせば、今年の田んぼの作業は終わります。今年の田んぼは昨年までの田んぼの倍の広さのため、費やした時間も手間も倍になりました。去年2日間かければ終わった作業も今年はその倍の4日間かかりました。しかし、田植えも稲刈りも脱穀も、機械の力を借りて、何とか一人でやり遂げました。
 なぜコンバインを使って農作業の時間短縮を行なわないのか、という批判もあるでしょう。けれども、私は稲刈りと脱穀の間の『はぜかけ』という、お米の天日干しにこだわっています。お米に付加価値を付けたいわけではありませんが、コンバインを使うと乾燥機で機械乾燥しなければいけません。それよりも、太陽の力で天日干しにするほうが、よく乾燥して、収穫後農薬散布(ポストハーベスト)をしなくても、カビが生えにくく日持ちする良質のお米が出来ます。
 このことを、本当はアメリカ合衆国の大規模農家さんにも教えてあげたいのですが、やめておきます。大規模経営では人海戦術に頼ると、雇用創出につながるものの、人件費がかかりすぎて、採算が合わなくなるからです。これまでのように、大量のお米を市場に安く出荷できなくなります。ですから、せっかく教えても、「オーノー(Oh! No!!)、ハーゼカーケー?テンピボシ?(HAZEKAKE? TEMPIBOSHI??)、ヘビー・アン・テリブル!(Heavy and terrible!!)、アンリーズナブル!!(Unreasonable!!)」と言われるに決まっています。やはり1ヘクタール(100アール)以上の田んぼは、人手をかけずにコンバインでやるべきです。
 私は、30アールの広さで育った稲を干すために、合計100m位のはぜ棒を使いました。1ヘクタールだと、その3倍以上のはぜ棒が必要になります。仮に100ヘクタールもあったらば(計算してみるとわかりますが)、BSEの全頭検査を日本が要求した時と同じように、アンリーズナブル(非合理的)と言わざるおえないでしょう。もちろん、はぜかけ自体はアンリーズナブル(非科学的)ではありません。天日干しは、自然の力を利用した科学的な方法です。
 それに、私は直売所で売るお米に、『はぜかけ米』とか『はぜかけ新米』とかのシールを自前で作って貼っています。販売促進のためです。その割には、(米農家さんには恨まれていますが)安い値段で売っています。しかし、コンバインを使ったために『はぜかけ』をしなかったら、これは偽装表示になってしまいます。このような消費者を裏切る行為は、犯罪になってしまうことでしょう。
 以上が、私がコンバインを使わない理由です。今回のテーマに戻りましょう。畦の草刈りと、秋の田おこしという作業を残しつつも、やっと今日の日中に稲わらを全部、レンタル・ビニール・ハウスの近くに運び終わりました。まだ太陽は沈んでいなかったのですが、足が棒になっているなど、体のダメージがひどいことに気が付きました。そのダメージを回復させるために、露天風呂のある、比較的遠くない(つまり、楽に車で帰って来れる)温泉に行くことにしました。本当は露天風呂から夕日を見たかったのですが、実際に行ってみると、山にかかった灰色の雲で夕日は見えなくなっていました。あたりは日没直後の夕暮れ時の明るさでした。夕日があるべき場所以外は、晴れわたって、西の空の山のきわは赤く染まっていました。もしも雲が一つも無くて夕日が見えたとしても、明日の朝は放射冷却で霜が降りるほど寒くなるに違いない、と私は思いながら、夕日の見えない夕空を温泉に浸かりながら見ていました。
 それにしても、今年は夕方になると天気が悪くなる日が多かったようです。最近になって、西の赤い空を目にすることが多くなりました。今日はついでに温泉の展望台にのぼってみました。山のきわの赤い空に、ひときわ光る星、いわゆる宵の明星を見つけました。このタイミングでこの位置に金星が見えると私は今まで考えたことがありませんでした。眼下には、上田市街と丸子町の夜景が広がっていました。自然が作ったものと人間が作ったものをバランスよく感じることが大切なのです。私にとってたまにではありましたが、こうした景色を見ることは、心身の疲労回復にとても良かったようです。