私のプロフィール 『足立体育学校』

 「何でこんな高校に来ちゃったんだろう。」と高校時代の私は、同級生と口々に言ったものでした。私が通っていた頃の都立足立高校は、別名『足立体育学校』と呼ばれていました。公立の高校で学力レベルが中程度の一応進学校ではありましたが、なぜか体育の授業に力が入れられていました。体育の先生方専用の控え室というか研究室がありました。高校3年間の授業のカリキュラムは体育の授業を中心にして組まれているとしか思えませんでした。当然、必須科目で単位を一つでも落とすと卒業できませんでした。高一、高二の時は一週間に5、6時限も体育の授業がありました。高校3年間で、陸上競技ひととおり、器械体操ひととおり、武道は剣道と柔道、夏は水泳、(野球を除く)球技ひととおりをやらされました。
 高二の陸上競技のひとつとして20kmの長距離マラソンを何度か走らされました。午後の5時限目と6時限目をぶち抜きで学校の周囲1kmのランニングコースを20周も走るために、男子は皆、2時限目と3時限目の間の休み時間に早弁(早い昼食)をすることが学校内で公認されていました。早弁をしないと空腹または腹痛で走れなくなるので、体育課の先生方が学校に許可をとったのだそうです。学力が中程度で比較的まじめな、おとなしい生徒が多かったので、体育の授業で長距離マラソンがない日は、誰も早弁をする人はいませんでした。
 武道の時間は、特に剣道が厳しかった。担当の体育の先生は武道専任の先生が1人いらして、定年退職間際の年配の、三船敏郎みたいに声の太い、恐い先生でした。授業が始まるまでに防具をつけてないと、あの太い声で注意をされて竹刀で防具をつけていない箇所を叩かれました。私は、剣道は生まれて初めてやったので、慣れなくてすぐ息があがってしまい、防具も重たくて、高一の1週間に一度は地獄を見ていました。
 夏の水泳の授業は、片道25mの6本のコースを順番に泳ぎ続けるのですが、途中で泳ぐのをさぼった者は、プールの床を磨くブラシで先生に背中を強くこすられたり、プールに突き落とされたりしました。授業の時間いっぱい(おそらく1時間以上)、同級生の後ろについてずっと泳ぎ続けていました。夏の暑い時期に持久力と忍耐力がついたのですが、おかげで魚の気持ちになることができました。
 高三になると、球技でラグビーをやりました。毎年、文化祭になると高三の先輩たちが有志で自主製作映画の上映をやるのですが、かならず人気があって皆が見に行ってしまうのが、高校ラグビーの青春ドラマ『これが青春だ』みたいな映画でした。映画のバックに流れる曲は、まさに『これが青春だ』のテーマ曲でした。トライをするところなんか、数人の生徒がわざとスローモーションに動いて、スローモーションの映像技術を使わずに演技していました。ラグビーって、青春って、楽しくて面白いんだよ、というメッセージが映画を見る人に伝わるような演出をしていました。ところが、自分たちが高三になって、体育の授業で実際にラグビーをやらされる立場になってみたら、文化祭の映画の楽しい和気あいあいなイメージとは全く違うものであることに気づかされました。(つづく)