私のプロフィール 読書感想文コンクール入選作品

 1974年の秋、私は中学校の読書感想文コンクールで、太宰治の短編小説の感想文を書いて、優秀作に選ばれました。このコンクールの入選作品を載せた冊子を今でも大切に所持しているのですが、国語の先生方の書かれた選評や講評を読むと、『黒田君の作品は』の文字があちこちにあって、評価がいろいろと書かれていて、ちょっと誇らしく思いました。そんなに『黒田君の作品』は、国語の先生方にとって衝撃的であったのかな、と改めてその影響力が大きかったことを感じます。しかし、この親にしてこの子ありなのかなあ?、と私本人が疑問に思ってしまったこともまた事実です。
 私の母は、学生時代、国語が嫌いで、本を読むのも嫌い。話を聞くのも、話すのも下手でした。その代わり、そろばんが得意で、数学の成績は人並みだったそうです。今でも、テレビやドラマを見るのが嫌い。ドラマなんて作り物だから、見ても何にもならない、と考える人です。そのくせ手紙を書くと、かなりの達筆で、漢字もほとんど知らないのに、よくこんなに沢山何でも書けるな、と今でも時折母から来る手紙を見ながら私は感心して思うのです。
 そんな母親の子供である私が、中学校の読書感想文コンクールで優秀作に選ばれる作品を書いてしまうなんて、当時は信じられませんでした。私はまだ13歳で、国語の成績もそんなに良くなかったし、第一、テレビばかり見ていて、本もろくすっぽ読んでいませんでした。感想文のために太宰治の短編小説を選んだのも、実は、単行本で9ページしか無かったためで、読書時間を節約したかったからに他ならなかったのです。才能と素質の無さを隠すために、国語辞典を買ってきて、読み仮名で引いた漢字をなるだけ文章に使うようにしました。
 何はともあれ、国語の先生方(つまり、大人)に認められてしまったのですから、悪い気はしませんでした。それ以降、私は家の近くの図書館へ通って、いろんな文学作品に興味を持つようになるのですが、その話についてはまたの機会に譲ります。私のこの作品についての、先生方の選評と講評についてもまたの機会に記載します。
 最後に、そのつたない私の作品をお読みください。


「雪の夜の話」を読んで
                        2年7組   黒 田 国 男
 読み終わって、綺麗な話だなと思った。わずか九ページの短編なのだが、物語が、あの雪景色のように美しい。物語を読んでいる自分でさえも、何処かの雪景色の明るい中にいるように思えた位だ。
 水夫の話は、また実に心温まる話。嘘か本当かわからないけど、たとえ紛れも無い嘘であっても信じたくなるような話だ。−難破して海に巻き込まれながらも九死に一生を得ようとした水夫が、もう少しで助かりそうになった。だが、(助けを求めようとして目にした人たちの)一家団欒と言う本当に小さな幸福を、自分の為に壊したくない一心に、(助けてほしいと言えずに)また波にさらわれて自分は死んでしまったと言う。−この水夫の心。ぼくは、その心に強く打たれた。この水夫のような人は、世の中にも沢山いるだろう。ある、たった一つの物事に、自分の命まで捨てて、それを守ってくれる。素晴しいことではないか!だから、友人の小説家のこの説明が本当ならば、きっと、この水夫の眼球に写った美しい一家団欒の光景は、水夫のこの優しい心によって残されたものではないかと思える。
 兄さんの眼についても興味深い。しゅん子の純真な目の何百倍も何千倍も綺麗な景色や物を見てきたと自慢するお兄さんなのだが、きたない物も彼女の何千倍も見て来たのだ。そう、そのようなものを経験と言うのかもしれない。兄さんの目の濁りが、その証拠と言えるのかもしれない。
 純粋な、そして今が人生の中でも自由であるとも言えるぼくらの世代。これからも、いろんな物事・知らない物事にぶつかって、この兄さんのように大人になるのだろう。いろいろな苦難と戦い、その中で自分が何かを学ぶことが経験であると言えるのではないだろうか。
 だから、大人と言うものは、今のぼくらより一層苦労と責任が大きくて、いやなこと・悩みもまた多いものだと、この兄さんから考えられた。
 この物語は、雪の降る夜のでき事が、時間的には軸になっている。雰囲気としては何となく静かなのだが、兄さんが登場すると、静かな場所に急に滅茶苦茶な音楽を流したように騒がしくなる。これはまあ、作者である太宰治のお道化であると言えるが、普通、このような静かな物語に騒がしくなることは、物語が滅茶苦茶になる恐れがあるのではないかと思っていた。静かな物語は静かにと言う感じの本ばっかし読んできたせいであろうか。だが現実は逆に、この兄さんは、この物語の脇役として、かえって物語を明るくしている。
 明るい。−この物語の持つ雰囲気の一つであることを忘れてはならないと思う。−だから、ぼくはこの物語が短いながらも好きなのである。三人しか現存の登場人物が登場していないのに、この三人の会話や日常のでき事などによって、短かく小さい物語の中に、焚き火でもしているような暖かいものが感じられるのだ。
 兄さんと、嫂さんと、しゅん子の三人の「小さな家庭」の雰囲気と言うものではないかと思える。