『一人前の大人』って何だ?

 私はかつてネット上で、こんな意見を目にしたことがあります。私を子供だと勘違いして、ある大人が語りかけてきたみたいなのです。「未成年を一人前の大人扱いにすることはできない。」
 なるほど、この意見に間違いは見当たらない。一見、正しいことを言っているように思われる。この人には未成年のお子さんがいて、そのお子さんを大人扱いできないと親の立場から言われている。我々大人は子供に対して「一人前の大人になりなさい。」と説得する。それが説得力のある親の教えであると思い込んでいる。本当にそうなのだろうか、と疑ったことがない。
 子供の側からすれば、『一人前』も『大人』も、それを大人の姿から観察できても実感はできない言葉である。よって、頭の中でそれらをイメージとして想像して、言葉の意味を理解する。大人を実体験できないために、世間一般に妥当なイメージ(例えば、職を得て一定の収入が得られるようになる等)をつくって理解する。『一人前の大人』という言葉は、大人が子供に言い聞かすという文脈(コンテキスト)でのみ有効に働く。
 ところが、である。子供は成人すると、大人である自分自身を実感して、『一人前の大人』という言葉を使う時に、はたと立ち止まって考える。自分は『一人前の大人』なのか、どういう時に『一人前の大人』になったと自ら言えるようになるのか、と。そう考えて、自分なりの答えが見つかると、世間一般に妥当な意味づけの上に、自分なりの意味を付け加える。『一人前の大人』という言葉は、大人一人一人が個人的な意味づけをして、各人がばらばらなイメージを持っている。各人はばらばらな解釈のもとに、この言葉を使おうとする。よって、大人同士で『一人前の大人』という言葉を使って真面目な議論をすると、必ず意見がかみ合わない。先に私がネット上で見た「未成年を一人前の大人扱いにすることはできない。」という意見に対して、私は否定も肯定もできないのです。つまり、この意見では相手を論理的に説得することはできません。こういう言葉使いばかりしているから、日本人は世界に向けて日本の立場をちゃんとわかってもらえないのかもしれません。
 一般に、他人と話し合いをする場合、話の上で重要な言葉の意味が相手とずれている場合は、話がかみ合わない。例えば、テレビで国会中継を見ていても、『天下り』という言葉の意味の定義が統一していないために、どこからどこまでが悪い官僚の天下りなのかはっきりしない。はっきりしないまま、議論が食い違って、先に進まない。時間ばかりかけて、国民の税金の無駄使いになっています。
 我々の日常生活においても、大事な言葉の意味するところが食い違っていたために、話が進まず、喧嘩になって、後になってからその食い違いに気づくということはよくあることです。大した用事でなければ大したことにならずに済みますが、重要な用件ではそうはいきません。ましてや、無駄な話し合いで時間をつぶしてしまうことは、健康上(精神衛生上)良くないことです。
 我々の仕事上の話し合いにおいても、相手とすっきり話し合いを済ませたいものです。相手と話をするときに重要になる言葉はあらかじめきちっと定義しておく必要があります。そうすれば、相手との議論の効率化が図られます。数学が苦手だった方には申し訳ありませんが、定義・定理がしっかりしているからこそ、数学では前提条件から結論が必然的に導き出されるのです。
 以上のことから、議論をする上で重要なキーワードの意味することがその人ごとに違うと、それだけで互いが納得のいく正しい結論にたどり着けないことがわかります。『一人前の大人』の意味するところは、大人同士ではそれぞればらばらですから、そこから何らかの正しい結論を導き出すことはできません。つまり、大人同士の議論は、『一人前の大人』という言葉を使ってはできないということです。
 常識に照らして考えてみても、どういう大人が『一人前の大人』なのか具体的に見えてこない。職を得て一定の収入がある大人をそう呼ぶと決めてみる。とすると、会社からリストラされた大人は一人前の大人でないことになるし、ホームレスの人たちも一人前の大人ではないことになる。会社が倒産して借金に追われる経営者も一人前の大人でないことになる。大怪我や病気をして働けなくなった人も、一人前の大人ではないことになる。
 とするならば、『一人前の大人』という言葉が使われる議論において、そうした人たちのことを配慮していないならば、この言葉は不適切な表現であると言える。大人同士の話し合いにおいては、差別用語と同じになるので使用禁止にするべきであると、私は考えます。