ファンの自由 『春のまぼろし』

犬嫌いのはずのお父さんが、捨て犬のハルをまじまじと見て感心します。
「ちゃんと一生面倒みるんだぞ。」
という、お父さんの軽い一言に、子供の由宇よりも先に返事をするハル。
「まかせて。私が一生面倒みてあげる。」
と、ハルが真面目な顔で由宇に言います。犬なのに、と思いつつ、おかしなシーンで笑うべきところなのに、と思いながらも、僕はこれを見て泣いてしまいました。
                           (誰だかわからない人のコメント)
 これは、ミュードラ『春のまぼろし』第一話のシーンに関するコメントです。このミュードラの予告編を見てもわかるのですが、『春のまぼろし』第三話で、『結婚』という言葉を人間たちから耳にした犬のハルが、「何、なに?結婚って何?」と目を丸くして驚くシーンがあります。
 私の考えでは、前者(第一話のシーン)と後者(第三話のシーン)が互いにつながっているのではないかと思えました。前者が後者の答えになっている。結婚とは、結婚した相手をちゃんと一生面倒みること、という一つの命題が示されているのではないかと推測しました。
 すなはち、犬のハルは『結婚』という言葉は知らなくても、結婚というものの意味や本質はわかっていたのだ。なんて悲しいんだ、といった感想を持つと思われます。
 もちろん、前者が後者のただの伏線であり、作る側(ドラマの制作スタッフ)がおかしな笑えるシーンを提供してくれたにすぎないのかもしれません。子供の由宇に、お父さんはただ、犬などの生き物を飼いたいならば、ちゃんと最後まで面倒見てあげなきゃだめだよと、さとしただけの話であることは、ドラマを見ての通りです。このミュードラ自体、軽い気持ちで楽しく鑑賞できるものであることに変わりはありません。
 ドラマの意外な所、何でもなさそうな所に意味を見つけるのは、この作品を受取り、楽しんだ側(ドラマのファン)の自由です。まず自分が作品をよく味わって、自分が笑って泣いて感動したことを他の誰かに伝えたくなるのも、またファンの側の自由なのです。