ファンの自由 『さびしんぼう』

 あなたに好きになって頂いたのは、こっちの顔でしょ。どうか、こっちの顔だけ見ていて。反対側の顔は見ないでください。(百合子さんの言葉より)
 最近、私はインターネット上で、あることを知ってうれしくなりました。「さびしんぼう」を検索したらば、いくつかのファンサイトと多数のブログが見つかりました。『さびしんぼう』を映画で見た人の感想が綴られたページも数多く残っていました。映画『さびしんぼう』は、多くのファンの心の中に生き続けていたのです。
 しかも、その感想の一つ一つが映画のシーンをこと細かく分析して感じ取っているものが多く、それらを感じ取れなかった私には勉強になりました。
 当時私は富田靖子さんのファンで、『アイコ16歳』『ときめき海岸物語』『さびしんぼう』の映画3作品を「富田靖子さん三部作」と勝手に自分で命名していました。当時流行っていたレーザディスクを買って見るくらい熱が入っていました。
 また、大林監督の作品も当時は夢中になって見ていました。神楽坂の近くの名画座へ、尾道三部作を何度も見に行ったものでした。監督の作品について、多くの方が述べられているのと同じような感想を私も持ちました。私は東京生まれの東京育ちです。なのに、一度も行ったことのない土地であるはずの、大林監督の生まれ故郷が、映画の中ではまるで自分の故郷のように思えてくるから不思議です。
 私は当時、富田靖子さんが女優として大好きで(今は結婚されているので、何とも私は思っていませんが)、この映画を見てとても切ない気持ちにさせられました。でも、相手役の尾美としのりさんをうらやむ気持ちとかは無かったと思います。
 そこが、大林監督の演出のうまい所で、観客(私)と俳優(尾美としのりさん)の気持ちを一つにしてしまうのです。尾美としのりさん演ずる若者がつらくて涙を流すとき、それを見ている観客(私たち)も同時に悲しくなるように映画が作られていました。
 この映画に抱いた私のイメージは、大雑把なものでした。大林監督と尾美としのりさんと私が一つになって、つまり、監督と役者さんと観客が一体化して、さびしんぼうや女子高生を演じた富田靖子さんを見て、『さびしんぼう』ってなんて寂しいんだろう、なんて切なくて悲しいんだろう、と感じる映画だったと思います。(『さびしんぼう』映画ファンの皆様、これはあくまでも私の勝手な印象なので、どうかお許しください。)