誕生日にまつわる話

 昼食をとるために仕事先からアパートに帰ってきて、たまたまテレビをつけたら日テレの『ヒルナンデス!』がやっていました。コマーシャルに入る直前に「番組から重大発表があります。」というアナウンスがあって、何かと思って見ていたら、コマーシャルの後でMCの南原清隆さんがくす玉を割って、スタジオみんなで祝福の声が上がりました。南原さんは、今日が47歳の誕生日だそうです。お祝いのケーキみたいなものが出てきたようでした。そういえば、いつだったか正確には覚えていませんが、『スッキリ!!』でテリー伊藤さんの62歳の誕生日を祝うシーンをテレビで見た古くない記憶があります。テリー伊藤さんは、「この歳で(誕生日を祝ってもらえるなんて)はずかしいね。」とかおっしゃられていたと思います。
 従来テレビでの重大発表などと言うと、芸能人や有名人が結婚したとか婚約したとか、何か新しい本を出版したとか、新しい映画や舞台やテレビ番組に出演するとかいうことが定番だったと思います。それから見れば、個々人の誕生日のようなことをいちいちテレビで公表するなんて良くないのではないか、という厳しいご意見もあるかもしれません。しかし、私はどちらかといえば(TPOをわきまえた上で)テレビで誕生日を祝うのは良いことだと思います。以前は若い芸能人が周りの関係スタッフに祝ってもらうことがよくありましたが、祝ってもらえるチャンスがあるのならば、年齢に関係なく私は良いと思います。
 なぜならば、テレビ視聴者の側からすると、次のような理屈が考えられます。誕生日というのは、一年に一回は誰しもお祝いされるチャンスが来るものであり、その点では人類みな平等ではないかと思われるからです。貧富の格差や年齢の格差に関係なく、誰でもその人の誕生日があります。(ただし、2月29日が誕生日の人にとっては少し残念なことかもしれません。4年に1回しか誕生日が来ないからです。でも、心配はいりません。うるう年を迎えた72歳のお爺さんが「ワシは今年まだ18歳になったばっかりなんだよ。」と笑顔で自慢げに話すのを、私は小学生の頃に聞いたことがあります。)そして、芸能人や有名人の誰々と誕生日が同じだとか、つい関心を持ってしまい、『今日が誕生日の有名人』みたいなタイトルの、テレビのテロップをつい見たりしてしまいます。
 例えば、亡くなった私の父は2月20日生まれでした。読売巨人軍長島茂雄選手と誕生日が同じでした。そのせいなのか、それともそうでなかったのか、偶然なのか、今では定かではありませんが、私の父は長島選手の大ファンでした。選手時代は、テレビで放送されていた巨人の試合を私の父は必ず見ていましたし、放送時間がなくなってテレビ中継が終わった後でも、点差がひらいて決着がつくまでラジオを聴いていました。決着がつかないと試合終了まで聴いていました。ナイターの中継がラジオしかないと、私の父はわざと残業して、ラジオを聴きながら仕事をしていることも多かったです。日本シリーズなどでデーゲームの試合だと、日中は仕事をしながらラジオを聴いていました。そのかわり、巨人戦以外の野球中継はテレビやラジオで放送されていても全く視聴しませんでした。長島選手が必ず登場する巨人の試合でないと、野球を観戦する気分が出なかったそうです。
 また、私の父は、長島選手が選手を辞めて監督になると、長島巨人だけを応援していました。巨人の監督が王監督や藤田監督に代わると、私の父は巨人戦をほとんど視聴しませんでした。私の父は、読売巨人軍のファンというよりも、長島選手もしくは長島監督が在籍する巨人というチームの熱烈なファン、つまり、いわゆる『長島巨人ファン』だったのです。長島巨人が試合に負けた翌朝は、私の父の機嫌は必ずよくありませんでした。他の長島巨人ファンの人たちと同じくらい、もしくはそれ以上、巨人の長島選手に私の父もまた、ほれ込んでいたと言えます。
 話かわって、このような話もあります。ずっと昔に私は、永六輔さんの番組をラジオで聴いていました。私の聞き違いでないならば、永六輔さんはこんな話をして下さったと思います。永六輔さんは、実は映画評論家の淀川長治さんと誕生日が同じだったそうです。ある年の誕生日に、永六輔さんが淀川さんに、誕生日が同じですから一緒にお祝いしましょうと言って誘ったところ、淀川さんにこんなふうに言われたそうです。誕生日は私と私の母にとって大切な日なのだから申し訳ないけど、と断られたそうです。淀川長治さんは、毎年ご自身の誕生日を、お母さんと一緒に過ごして祝っていらしたそうです。
 そう言えば、私が幼い頃のことです。誕生日になると、私の母から「今日は、何の日だ?」とよく訊かれました。「今日は国男が生まれた日だよ。」と必ず母に答えを言われました。私は、母からそう言われるたびに心の中で「そんなの当たり前のことだし、わかってるよ。」と思いましたが、なぜかその言葉を口に出しては言えませんでした。なぜ母が、いちいちこんなことを私の誕生日に言うのかがわからなかったからです。もちろん私の場合は、誕生日に母と一緒に過ごそうと思ったことは一度もありません。その意味において、私は親不孝者なのかもしれませんし、(確信犯なのかもしれませんが)その親不孝な状態をそれほど悪いことだとは思っていません。冷静に考えてみると、そんなことを言ってくるのは私の母親以外にはありえないし、その理由も段々とわかってきています。つまり、私自身の誕生日を忘れない(もしくは、どうしても忘れられない)人間がこの世には必ずもう一人いる(もしくは、もう一人いた)ということなのです。だからと言って、私は母親を溺愛したいと思っているわけではありません。これ以上は、言わずもがな、というところでしょう。