私のプロフィール 成人の日にはずしたもの

 たまたま夕方にMXテレビを見ていたら、「あなたは成人の日にハメをはずしましたか?」という生投票をやっていました。私は「いいえ」でした。私の誕生日は、一月十五日以降の遅生まれだったために、1982年に東京都足立区主催の『成人の日のつどい』に招待されました。東京の私立H大の三年生として自宅から学校に通っていた私は、親からお金を出してもらって、背広を初めて作ってもらいました。新調された冬物の背広(紺色のスーツ)は、二十歳の私には、窮屈で重たく感じられました。私より年下が多かったはずの『成人の日のつどい』に行っても、緊張のし通しだったと思います。知っている友人もいなかったので、その式典の途中で知人と連れ立って帰ることもできず、最後までそれほど名の知られていない作家さんの話を聴いていました。その作家さんは、「男と女の考え方は違う。」というテーマで長々と話をされていました。もうその作家さんは、現在は生きていらっしゃいませんが、そのテーマだけは今でも私の記憶に残ってしまいました。
 私がその日にはずしたもののことも、なかなか忘れることができません。それは、父親から成人のお祝いにいただいた、やや高価な腕時計でした。携帯電話やスマホの無かった当時は、腕時計が貴重品の一つになっていました。父から一方的にプレゼントされた、その腕時計は、全自動巻きで大きく重たいものでした。『全自動巻き』とは、どういう代物(しろもの)かと申しますと、その時計自体が揺れることによって、ゼンマイが自動に巻けて、時計が動き続けるという物でした。腕に装着していれば、腕の振りに合わせて、時計のゼンマイが自動的に巻けてしまいます。従来の手巻き式腕時計のように、人間がいちいちネジを巻かなくても、時計の針が止まることはありませんでした。
 その自動巻き式腕時計を式典に行く時に左手首にはめました。ところが、式典の最中に余りに緊張していた私は、その重たい腕時計をはずして、スーツ上着の左ポケットに入れたつもりでした。そのまま、その腕時計のことは、数日間忘れてしまいました。
 何日かして、スーツ上着の左ポケットに入れたはずの、高価な腕時計のことを思い出したのですが、それはどこにも見つかりませんでした。私は、そのことを父親にさえ黙っていました。そんなことで大騒ぎしたら、自宅で一緒に暮している家族みんなに迷惑をかけて悪いと思ったからです。
 それ以来、私は、水晶発振器の駆動による、安っぽい腕時計しか買ったことがありません。成人の日に私がはずした高価な腕時計。たまたま、それをなくしたことが、私のこれまでの生き方に微妙に影響を及ぼして、今に至っているようなのです。