将棋が強くなれなかった理由

 ここ数カ月間、本業に全集中だったので、ブログ記事を書くのをご無沙汰しておりました。それほど私の本業は、正解のない問題やトラブルばかりなのです。つい昨日も、田んぼの奥の方に空きスペースがあるので、そこまではぜかけ資材を運ぼうとして軽トラを田んぼ内に乗り入れた途端、先日の雨で泥沼と化していた田んぼの土にはまってしまいました。7時間もあれこれ悪戦苦闘するも、田んぼからの離脱はかなわず、その軽トラの運転席で一夜を明かしました。夜は寒くて、体調が悪くならないようにと、車内に積んでおいた毛布を被って眠りました。

 今朝になって、私は考えました。これは、近くの農業機械センターへ連絡して、トラクターを借りて、この軽トラを田んぼの沼地から引っ張り上げるしかないかもしれない。しかし、そのトラクターの利用でさえ100%上手く行くとは限らない、ということにも即座に気がつきました。そこで、田んぼの泥土をよく観察して、タイヤの前輪と後輪が深い溝を作っていることを発見しました。短いラダーを何とかして前輪の通り道に置いて、前輪がそのラダーの上に乗っかることをふとイメージしました。その一瞬のひらめきを実行して、みごとに軽トラが自力で田んぼを離脱することに成功しました。

 このように、何が一番の正解かは、わからないことが多いのです。学校では、一般的に正しい知識を一応は教えてくれます。それをおろそかにしてはいけないことは言うまでもありません。しかし、その知識を100%信じて、現実にそぐわない判断をするのであれば、それこそ愚かなことであると言わざるをえません。良くも悪くも、その判断や結果に自分自身が責任を持つことが大切だということです。

 話変わって、藤井八冠誕生のニュースを先ほど知りました。並みいるプロ棋士の強敵を相手にした八つのタイトル奪取の偉業をたたえるニュースが多かったと思います。しかし、なぜ彼にそれができたのかという理由となると、明快な説明はされていないような気がしました。もっとも説明されても、素人にはよくわからないということだと思います。そこで、私は以下のような仮説を立ててみました。

 将棋というものは、通常、百数十手前後で勝負がつくことが多いようです。つまり、その手数ほぼ全部を読むことができれば、相手に勝てるわけです。そんなことは人間には不可能だ、という意見も確かにあります。しかし、詰将棋を考えてみると、そうとも言えないかもしれません。初心者用の三手詰めや五手詰めなどから、超高段者用の五十手詰めや百手詰めまで、あるのが詰将棋です。私自身は、余り興味がなかったのですが、最近、コンピュータの詰将棋ができるソフトと戦うことが増えて少し考えが変わりました。もしかして、中盤や終盤に、詰将棋的に対局中の盤面を視ることができたならば、勝率が上がるのではないかと、私は思いました。つまり、中盤などの局面で、ものすごい速さで先読みができて、五十数手の詰将棋にしてしまうならば、私にだってプロ棋士に勝てる気がします。これはあくまでも私の妄想ですが…、そう言えば、藤井八冠は詰将棋のチャンピオンでもあります。私の単なる妄想も、実は、ありうる可能性だったりもするわけです。

 しかしながら、私の若い頃のことを考えてみると、かなりずさんでした。中学生の一時期、私は学校から帰ると、ある友人宅へ将棋を指しによく行きました。その頃は、王将の囲いとか、戦法に興味があって、新聞やテレビで見かけるプロ棋士の真似をすることが流行っていました。そこまでは、良いのです。しかし、私の場合は、極端でした。飛車を横に振って四間飛車にできただけで満足していました。それでだけで、相手に勝った気分でいたのです。その後の指し手や勝ち負けなどに関心はありませんでした。

 ところで、将棋というゲームは、どんなに優れた戦法を使って、局面の形勢が優勢になったとしても、相手に勝ったことにはなりません。詰将棋のように、相手の王将を詰ませて本当の勝ちとなります。だから、藤井八冠には、得意な戦法がありません。戦法で相手に勝つのではなく、独自の戦法を持たずに、相手の出方やスキを突いて、形勢を良くしつつ、盤面全体の詰将棋にして勝つわけです。もしも、現在の藤井八冠にどうしても勝ちたいというのならば、徹底して詰将棋を勉強しなければならないことでしょう。

さて、私自身の話に戻ると、私は中学三年の頃、新しく出来た将棋部の部長をやっていました。私の通っていた公立中学校では、囲碁部はあるものの、将棋部はありませんでした。それで、友人宅へお邪魔して将棋を指していたのですが、放課後のクラブとして、学校の教室を借りて、同級生の友人たちと堂々と将棋を指したいと思っていました。それが、中学三年になって、やっと実現できました。

 しかし、そこで問題がありました。友人の同級生たちの誰もが、部長をやりたがらない。将棋部の部長をやると将棋が弱くなる、というジンクスがあったのです。だけれども、私は、部長を引き受けて、案の定、将棋が弱くなりました。それでも、学校のクラブ活動として将棋を指せることに、私的ではありますが満足感がありました。強くならなかったから、嫌いになったわけではなかったのです。そんな勝負に固執しない私に、将棋部の部長は適役だったのかもしれません。