日本の若い人たちの意識にちょっと待った!

 年が明けて、私は何気なくテレビ朝日の『朝まで生テレビ』を観ていました。元旦にしては、『おめでたさ』はそっちのけで、うわべだけでなく内容的にも白熱した議論があって、勉強になる面白さがありました。また、番組の終わり近くで、視聴者側からの意見のアンケート集計があって、その中身がリアルかつタイムリーでした。現在の国民意識について、偏りの少ない、信憑(しんぴょう)のできるアンケート結果であったと、私は感心してテレビを観ていました。ただし、私にはちょっとだけ気になったことがあったので、以下のように、述べてみたいなと思いました。
 この番組を観ていて、どのへんに私が引っかかったのかと申しますと、1980年前後に生まれた世代の人たちの意見に共通に見られる『ある意識あるいは認識』についてです。この方々が、現在の日本社会で実際に最も働いている世代の主流ではないかと、私は想定しています。しかし、その方々のおっしゃられている意見内容を私なりに分析してみると、日本のバブル期以前の『いわゆる右肩上がりのGDP成長期』とおっしゃられている時代への理解が、やや乏しいように感じられます。つまり、現代の日本社会は「戦後から復興を果たして、高度経済成長期に皆が所得倍増して、バブル期に皆がその恩恵を被った。」とざっくりと考えられているように見受けられます。
 しかし、実際には、その道のりはそんなに平坦ではなかったという、歴史上の多くの証拠がありました。ただし、残念なことに、その多くは、それを経験していた当事者にさえ忘れ去られ、風化しつつあります。つまり、それは、(今風に申しますと)社会が度重なるアップデートをし続けていることによる功罪であり、過去を振り返らずに(つまり、十分な検証の余裕もなくて)現在から未来に突き進んできてしまった結果なのです。それに取り残される当事者(人間)ばかり見ていると気がつきにくいものです。ところが、社会を中心に見ていくと、明らかに、これまでずっと激動と激変の時代が続いていて、いつの世の中も不安定だったという歴史的な認識に気づかされると思います。
 たとえば、第1次ベビーブームに生まれた人たちは『団塊の世代』と呼ばれて十ぱ一からげで、皆が皆、十分な年金をもらって現在暮らしているように、はたから見えるかもしれませんが、それは違います。私ごとで恐縮ですが、私は大家族の家に生まれて育ちました。なので、第1次ベビーブームに生まれた10代・20代の叔父・叔母4人と、一つ屋根の下に住んでいた時期がありました。彼らはいずれも栄養状態が十分でなく、精神的にもやや不安定で神経質だったのを、私はよく記憶しています。その後社会に出た彼らが、今はどうしているのかと申しますと、50代前後で病死されたり、ホームレスになって行方不明になったり、エッセンシャル・ワーカーとして細々と仕事をしながら生活保護を受けているといった状況です。残念なことに、年金をもらって悠々自適というわけにはいきませんでした。別の親戚にもその同一世代の叔父がいましたが、闇の世界に関わったと噂されて、一家は離散し、彼自身はまったく行方不明となりました。また、私の別の親戚では、県庁の役人として勤めたその世代の叔父が一人います。彼は、現在十分な年金を支給されて、ほぼ悠々自適に余生を送られています。
 次に、高度経済成長期の所得倍増についてですが、実は次のようなカラクリがありました。もともと所得の多い人が所得倍増するのと、それほど所得が多くない人が所得倍増するのとでは、その富める度合いが違うということです。これも私ごとですが、私の父親は零細企業の自営業者で、後者の一人でした。そして、この国の中間層と呼ばれて、文字通り身を粉にして働き続けました。しかし、胆のうが悪くなるのを放置してしまい、65歳で年金がやっと支給された3年後に胆のう癌の末期でこの世を去りました。まあ、私の父のことはただの不運でしかありませんが、所得倍増については、これが経済的平等の現実であることを皆様はしっかりと覚えておくべきだと思います。GDPが増えなくても、これからはやっていけるなどとぬかしていると、決してこの国の政権交代は担えないと、私は思います。
 さて、高度経済成長期の後に何が待っていたのかと申しますと、それは『公害』と呼ばれる環境破壊でした。水質汚染、土壌汚染、大気汚染、騒音、振動等々により様々な公害病が発生して、このまま経済成長を追求していったら生きていけないのではないかと、皆が不安になり始めた時代になりました。そして、早くも昭和40年代頃には、経済の安定成長期ということが世間で言われるようになったと思います。その頃は、実際には、世の中は『不況』と呼ばれ、景気がよくないと言われ始めていました。
 そんな中で、私は大卒で、何の『つて』もなく中堅のソフトウェア開発の成長企業に入社しました。今で言うIT企業みたいなものです。仕事に没頭して、かなり働かされましたが一度も昇給はありませんでした。残業代で稼ごうとしましたが、しばしば月72時間以上の残業代は(有給休暇とは別の)3日間以上の特別完全有給休暇に振り替えられて消えました。「さすがはエンジニアたちが設立した会社だ。社員を過労死させない手段を心得ている。」と、当時の私を唸(うな)らせるものがありました。
 (さらに私ごとを続けますと、)その後、私は異業種の中小企業に転職しましたが、一度も昇給したことがありませんでした。そうこうしているうちに、世の中はバブル期に入り、そして、それははじけましたが、当時のサラリーマンの平均年収を上回ることは、全くありませんでした。そして、おそらくそのために女性には全く相手にされず、40代を間近にして脱サラをしてしまいました。少し私の愚痴が混じってしまいましたが、バブル期とバブルがはじける前の、当時の社会状況下での、私の就業状況は以上のごとくでした。
 お日様が射している部分のデータは概して世間に残りやすく広まりやすい一方、その影の部分は、たとえその当事者であっても忘れ去られやすいものなのかもしれません。嫌なことは、誰でも忘れたいし、誰にも話したくないものです。だから、ご自身の過去の黒歴史なんかを隠したくなるのも、人情として当然なのかもしれません。しかし、今の私にとって我慢がならないのは、私自身が過去に負った苦労や苦しみはもとより、バブルがはじける以前の人々の犠牲や苦労や苦しみが、後世の若い人たちに全く知られずに、誤解されていることです。私は、自身の見栄も何もかなぐり捨てて、後世の若い人たちが(たとえそれが小さなことであっても)間違った歴史的認識を抱かないように、はっきりと『本当のところ』を伝えなければならないと決意いたしました。(年始にあたって、少々暗いあいさつみたいになってしまいましたが、どうか今回だけはご勘弁ください。)