肩の凝らない啓蒙の話

 いきなり本題に入りますが、山口百恵さんの初期の楽曲が歌唱されていた頃、私は思春期の真っただ中でした。「あーなたーが望むなら、私ー、何をー、されてもいいわー。」とか「いーけなーい娘だと、噂されてもいいー。」とかの歌詞と曲を普通に聴いていました。その一方で、こんな内容まで若い女性アイドルが歌っていいものだろうかと、ちょっぴりビクビクしつつも、それを平然と耳にしていました。そういえば、「あなたに全てを見せるのはー、ちょっぴり怖くて恥ずかしい。」と視聴している私の側のほうが怖くて恥ずかしくなってしまうという歌詞の曲もありました。
 しかし、本当に重要なことは、思春期の感じやすい年頃の私が、そのような感じの歌を聴いても性犯罪に走らなかったことです。これは本当に不思議です。今になって、なぜだったのかを考えてみると、そうした歌の内容が何らかのアートの力で心にハッキリしみ込んで、「いけないこと」だと理解できたからだと思いました。思春期でしたから、私も元気な若者並みの性的な衝動があったと思います。性的な好奇心を刺激されたことは、間違いありません。にもかかわらず、私個人は、そんな山口百恵さんの歌に感化されることはなく、鼻の下を伸ばすこともありませんでした。
 こうした山口百恵さんの初期の楽曲が当時の日本社会で容認されていたことは、”me,too”運動や、女性蔑視に厳しい目を向ける人たちがいらっしゃる現代では、全く考えられないことかもしれません。場当たり的に見れば、全くけしからん事案だと、バッシングされる世の中になりました。私は山口百恵さんが好きではありませんでしたし、ファンでさえありませんでした。だから、公平な立場から、あの頃に何があったのかを書かせていただきます。感情論を振りかざさずに、しばし我慢をお願いいたします。
 当時の男性ファンは、山口百恵さんの次なる楽曲を、おそらく鼻の下を長くして待ち構えていたと思います。私は男性ですが、そうした世間の風潮や事態があったことを否定はいたしません。その一方で、そうしたきわどい内容の歌を山口百恵さんに歌わせるのは、制作スタッフが悪いのだと考える人もいたようです。その作詞家・作曲家・音楽プロデューサーさんがやり玉に挙げられそうになって、後悔に苦しみ続けた人もいらっしゃったかもしれません。しかし、私はここでハッキリ言わせていただきますが、制作スタッフの方々は、決して性的好奇心や個人的趣向のためではなく、職業として音楽で食べていくためにそのようなビジネス戦略をとったのでした。そのことは、しばらくして明らかになりました。ある時期から作詞家・作曲家さんが、SさんとTさんからAさんとUさんに交代しました。
 その途端に、山口百恵さんの楽曲のイメージが変わって、世間が驚きました。これまで、きわどい歌の内容に鼻の下を伸ばして聴いていた男性ファンは、「坊やっ、一体、何を教わってきたの。」という歌詞を山口百恵さんから歌われて、完全に肩すかしを食いました。そんな彼らを見て、日本の多くの女性たちが、これまでの気分がスッキリして拍手喝采を送ったことは、想像に難(かた)くはありません。事実、ちょうどその頃から、山口百恵さんの女性ファンが激増し始めたと考えられます。それ以降「かっぜっ立ちーぬ、いっまーはー秋」とか「いーい日、旅ーだち」という歌詞にも表現されているように、幅広く女性ファンにも支持される若手人気歌手となりました。結果として、山口百恵さんは、他の女性アイドル歌手とは一線を画す、その引退も潔(いさぎよ)い売れっ子歌手となったわけです。
 場当たり的ではなく、こうして全体的な流れを俯瞰(ふかん)してみますと、そこには、世間の大衆に音楽を売り込むためのしたたかな戦略が、制作スタッフ側にあったことがわかります。世間の大衆は、その戦略にまんまと乗せられてしまったと言えます。山口百恵さんという一人の若い女性アイドル歌手が、男性ファンのみならず、結局、数多くの女性ファンをも引きつけて取り込んでしまったということは、当時興行的に大成功を収めたと言えましょう。スケベな男性ファンを突き放して啓蒙しつつも、その啓蒙が、これまで不満だった世間の女性たちから熱烈な支持を得るという計略でした。
 啓蒙などというと、学者さんや専門家さんの堅苦しいイメージを想像しがちです。しかし、いわば、このような『肩の凝らない啓蒙』というものも、世間ではアリなのです。一方、正しくピュアな心が、必ずしも世間で通用するとは限りません。それこそ、世間の気持ちがわからない、すなわち『世間知らず』と見なされてスルーされるだけなのです。このようなことは、人心を動かしたいと思う人は、今後参考にしていただくと良いと思います。ただし、誰かに天誅(てんちゅう)を下されぬように、くれぐれもお気をつけくださるようお願いもしておきます。