私の本業 『夢』と『生活の基盤』

 私の本業について、別の本業の方からよく言われる言葉があります。「夢がかなっていいね。」とか「夢のような仕事だね。どうしたら、そういう仕事に自信が持てるのかね。」とか、言われることが多いのです。その人たちにとって、私は『夢のような職業』に就いているように見えるのだと思います。
 しかし、私の側からすれば、この本業は少しも『夢の職業』なんかではないのです。私の父は、自営業で小さな町工場で溶接をする職人でした。私も、二十年近いサラリーマン生活の後、結局自営業で今の本業をやっています。結局、父親と同じように、私もサラリーマン社会にはなじめませんでした。今の私の側から申すならば、サラリーマンこそ『夢の職業』に思えます。社会保険制度などの福利厚生もしっかりしているし、退職金ももらえるなんて『夢の職業』以外の何物でもないと思えるのです。もっとも、現実の問題がないわけではないことも承知していますので、敢えてここではこれ以上触れないことに致します。
 私は、現在の自分の本業を『夢』と考えたことは一度もありません。これは一般的な常識からしたら、かなり外れた見方であると言えます。例えば毎日自然に接していて、心が穏やかになっているのではないかと、都会に住む人たちから想像されるかもしれません。確かに見た目は、そういう人間に見えることは否定できないでしょう。
 ところで、2、3日前に長野県でもゲリラ豪雨があって、すごい暴風雨で、私がキュウリを栽培しているビニールハウスの屋根のビニールがズタズタに裂けてしまいました。このままにしておくと、秋の長雨にさらされてキュウリの木に病気が広がってダメになってしまいます。そうすると、とれるキュウリの本数が減ってしまい、収益に影響が出ます。しかし、屋根のビニールの裂け方が余りにひどいため、修復不可能です。つまり、今回のトラブルに関しては、どうすることもできないのです。ここで慌てふためいても誰も助けてくれないし、たとえ誰かいたとしても助けてもらうこと自体不可能です。もしその通りに最悪の事態になったら、これはあきらめるしかないな、と思いました。これでお解かりかと思いますが、私の心の中は決して穏やかではありません。あと1ヶ月どうしても、毎日200本のA級品のキュウリをJAに出荷しなければならないのです。もしそれができないと、他の新規就農者が私の分を肩代わりして出荷しなければならず、負担と迷惑をかけてしまいます。7月、8月と毎日、朝早くから夜遅くまでほとんど一人で(アルバイトの人たちは時間の関係でほとんど手伝いに来てくれず、今回はあてなりませんでした。)キュウリを収穫し、箱詰めし、出荷してきたのに、長時間労働のため過労や病気や怪我に気をつけてきたのに、何てことでしょう。このように私の直面する現実は、『夢』と呼ぶには余りに過酷で厳しいものなのです。
 私は、キュウリが好きでこの仕事をしているわけでも、農業が楽しくてこの仕事をしているわけでもありません。この仕事は、私にとっては『夢』ではありません。生活をするための手段なのです。大人はみんなそうだと、私は信じているのですか、夢を捨ててでも生活を第一に考えるべきなのです。自分の親の姿をみれば、そんな当たり前のことは誰にだって解かります。生活の基盤がしっかりしていなくては、夢もへったくれもないのです。言い換えるならば、生活の基盤がしっかりしてこそ、人は夢を持てるのだし、幸せのチャンスをつかめるのだと思います。
 以上のような心構えで、私は本業に取り組んでいます。従って、いかなる理由があろうとも職場放棄はありえません。生活の基盤を手放すことは、人間をやめるに等しいからです。どんなに絶望的な状況にあっても、誰も助けてくれなくても、解決策は必ずあるものです。それを自分で見つけることもまた、仕事の一部なのです。(キュウリの栽培に関して、私は既に6年経験を積んでいます。今年暴風雨でキュウリを失敗させた地域を参考にして、現在対処を始めています。)