大阪視察研修で学んだこと

 今回私は、本業の関係で大阪へ視察研修に行って来ました。奇しくも、その出立日の1月27日は、私の誕生日で55歳になったのですが、その参加にある程度の緊張感を抱いていました。1カ月前から今回の参加を予定していたものの、先日の軽井沢のスキーバスの事故があったために、バスによる移動を極力避けたくなる気持ちになるのが普通です。しかし、キュウリの生産という本業をしている関係で、地元のJAのキュウリ部会の視察研修に参加する必要がありました。その参加は強制ではなかったのですが、私にとっては本業に関わることだという認識(すなわち生活に関わることだという認識)があったために、いわゆる「参加せざるを得ない」という気持ちがありました。
 なぜバスを利用しなければならないのか、電車ではダメなのかという意見も、JA職員と生産者との会議の中ではありました。しかし、これは毎回そうなのですが、県外へののんびりした計画の観光旅行とは違って、視察研修は、その目的で速(すみ)やかに行って帰ってくるというビジネス上の効率が必要とされます。そのためには、その参加者の迷子やトイレなどの急なトラブルを起こさないために、どうしても、電車よりもバスのほうが適切なようです。旅行会社には、それを踏まえた工程表を立ててもらっているようなのです。
 しかしながら、こうした研修視察旅行の途中での不意な交通事故は、絶対に避けたいものです。そこで、今回の視察研修の責任者であるJA職員とキュウリ部会の役員の方々は、相当に用心して手配をされていました。地元の旅行会社さんに立ててもらった計画で、地元のバス会社さんに依頼して、プロの運転手さんに中型のバスを運転してもらって、総勢18名で出立しました。(それでも、今回参加を予定していたはずの生産者2名は、なぜか前日に都合が悪くなって不参加になりましたが…。)現在地元では、NHKの大河ドラマの『真田丸』の人気で盛り上がりつつありますが、なるべくそれらの影響のあおりを受けないように、慎重に準備がなされていたようです。なお、先日の軽井沢や志賀高原の事故や事件などで、長野県へ観光に来るお客さんがこの時期一時的に減っているようで、その影響が地元の農産物直売所の売上に少し出ているように感じられました。
 ところで、今回の視察研修の最初の目的地は、大阪市の中央卸売市場の東部市場でした。そこは、私がキュウリを出荷している地元のJA流通センターの、実際の取引先です。これまでは、地元のJA職員とキュウリ部会の生産者代表の方々が、1年に1回そこに打ち合わせとあいさつを兼ねて訪問していました。
 今年は初めて、視察研修を兼ねて、参加を希望した地元の生産者10数名を連れて行きました。そして、今後の意見や打ち合わせとかを、相手の担当の人たちと、そこの会議室でやりました。実は、そこの担当者というのは、地元のキュウリ部会の総会や査定会(生産者間できゅうりの品質の打ち合わせをする会のこと。)にいつも招待していて、生産者みんなが顔を知っている人でした。そこで今回は、生産者のほうが大阪の市場に逆に招待された、とそう見ることができました。
 こうした類のことは、過去にも例がありました。地元のJA流通センターが、名古屋の野菜量販店とキュウリの取引をした時は、地元のキュウリ生産者2名が名古屋に行かされて、店頭販売の手伝いを半日させられました。それがどういう意図だったかはわかりませんでしたが、その名古屋の店舗の従業員に農業体験を半日させようとしたら、その前に双方の担当者が変わって、現在はそことの取引は無いとのことです。
 今回は、名古屋の例ほどではありませんでしたが、長野の生産者からの要望と大阪の販売担当者からの要望の意見交換はありました。これまでは、代表者間の話し合いはあったものの、生産者が何人も大阪へ行って話を聞いてくるということが無かったので、今回はそれなりの影響や効果がお互いに有ったような気がします。
 私の場合も、キュウリの一生産者として、キュウリ部会の部会長さんが日ごろ地元の生産者みんなに向かって言っていることを聞いてわかっているつもりでした。ところが、実際にはよく理解していないし、実践していないことが少なくありませんでした。大阪の卸売市場の販売担当者さんの話すことからたどっていくと、部会長さんのいつも言っていたことには筋が通っていて、これは一生産者として実践してみるべきだということが明らかになりました。具体的な説明は省きますが、大阪の取引先にみんなで視察研修しに来て、それに気がついて本当によかったと思いました。
 その晩は、小さなビジネスホテルに一泊して、夜の宴会で夜食を、翌日の出発前には朝食をいただきました。私は、大阪が今回初めてで東京生まれ、東京育ちなのですが、薄味の食事が大好きです。大阪での食事は、口に合いました。しかも、その小さなビジネスホテルは、大阪市中央卸売市場が近くにあるために、あらゆる食材をそこから仕入れることができるそうでした。1日目の日暮れ前に宿泊先に向かうバスの中から見たのですが、その市場の近辺には、巨大な高層マンションがいくつも建っていて、普段山ばかり見ている私を驚かせていましたが、東京都でもあまり見たことがなかったような光景に思えました。
 そう言えば、二日目の朝になって、小さなビジネスホテルの窓から街並みを見ると、東京の上野か御徒町のような感じがしました。そして、バスに乗って大阪市の中心街を通って行くと、東京の丸の内の高層ビル街と全く同じような巨大建築物がいくつも目に入って来ました。川沿いの上のほうには、高速道路の大きな束がいくつもうねるように続いていました。ちょうど8時から9時の間の通勤時間と重なったので、橋の上を多くの人たちが無表情に歩てゆく様子を見ることができました。大阪としては少し寒い朝だったらしくて、見上げるように高いビジネス高層ビル群に向かうその無表情な人たちは皆、元気が無いように感じられました。
 そこからバスは、東京の首都高に似た高速道路に上がって行き、郊外に向かいました。高速道路の上では多くの車が整然と走っていました。東京では考えられない、大きな建物や変わったデザインの建物を見ることもできました。こうした都会の風景を大阪で目にしてみると、『大阪都構想』を主張する人たちの気持ちが理解できると思いました。そのような都会の中心部の高層ビル群を見て比較した限りでは、「ひょっとして、大阪は東京に決して負けてはいない。」と思いました。
 しかし、残念なことに、都心部を離れて郊外に行くにつれて、住宅街はあるものの、未だ自然が猛威をふるっているような場所がところどころ目につきました。例えば、竹林があったりしますが、竹を手入れして整理した林と言うよりも、地面に根っこが荒々しく広がり続けている『野生の竹の群生地』という感じがしました。そのような茨城県郊外の某地域の風景に似た場所が、都会として発展した地域と同じ大阪市の中に見られることが少なくないようなのです。つまり、大阪全体が大都会ならば誰もその『都構想』に文句は言いません。けれども、都市の開発から取り残されたような地域を目にすると、荒川放水路がまだ未完成だった大正時代の『東京府』のイメージがふと浮かんでしまいます。(これはあくまでも、元東京都民だった私の意見です。若い頃の私は、恥ずかしながら、東京23区だけが東京都だと思っていました。)
 ところで、長野県の地元では、JAとその農産物各部会で、苗または種または肥料または農薬を製品として専門的に扱っている各企業の担当者を招いて、講習会を開くことがよくあります。また、こちらから出向いて(つまり、地元のJA職員と生産者が、そうした企業におもむいて)、その企業の工場や事務所のそばに設けられているショールームや会議室で、さまざま栽培技術などの講習を受けたり、製品に対する説明や質疑応答や意見交換があったりします。そうしたことは、企業からすれば、自社製品の販売促進活動の一環としてやっていることですが、農業生産者からすれば、その製品の正しい使い方や栽培技術などを知る良い機会であり、その技術や知識を習熟するために欠かせない視察研修の場であると言えます。
 これまでも、茨城や埼玉や群馬や三重県にある、そうした企業の工場などへの視察研修に参加したことがあります。地元からJA職員の担当者とベテランのキュウリ生産者について行って、私は見に行きました。
 今回の大阪では、某農薬会社の研究所へ行って、その業務を妨げない範囲で、研究開発の施設を見学させていただきました。農薬というと、日本ではどうしてもマイナスのイメージが大きいのですが、化学薬品として見ると、人間が服用する医薬品と比べて、それに勝るとも劣らない努力で研究と開発が行われていることが、現場へ行ってみるとわかります。現在では、一つの製品として特定の農薬が認可されるまでには、様々な試験と実験データが必要であること、害虫を試験材料とする場合はそれ自体を飼育して作らなければならない等々かなり簡単にいかない部分があることを知りました。
 最近の農薬は、殺虫剤にしても殺菌剤にしても、薬の毒性に頼って虫や菌を殺すものではなくなりつつあります。それが、最近の農薬のトレンドであるのですが、一般社会の考えはまだそこまでたどり着いていません。「農薬=毒」だと思っている人も、多いと思います。ところが、そう考えている人ほど、実際に植物の栽培で農薬を使ってみると、最近の農薬が虫にも菌にも効かないことに唖然としてしまうのです。よって、適量ではなくて、大量に使ってしまうこともあるわけです。
 どうするべきか答えはあえて言いませんが、やはり最新の技術情報を得ているベテランの農家さんに、私は分(ぶ)があるように思えてなりません。たとえ大学や大学院を出ていなくても、そうした製品の情報を得て、鵜呑みにせずによく考えて、実地にも使ってみる。そして、その結果を見極める。そうしたことが、これからこの本業をやっていこうとする人には必要とされるのかもしれません。
 このように私としては、今回の大阪への研修視察においてもまた、新たな知識や情報として得ることが多かったと言えます。しかし、今回もまた、それが一番良かった、全てだったとは言いません。何と言っても、県外から無事に帰って来られたことが、今回もまた一番良かったと思います。帰りの道は特に、日が暮れて真っ暗になってしまうことが多いので、地元の道に慣れている地元のバス会社の運転手さんは本当にありがたいと思いました。昨晩、地元へ戻ってきて、バスを降りた時は、ちゃんとお礼を言ってバスの運転手さんに別れを告げました。