不倫って無理?

 もしも同い年の女性に出会ったら私は恋をするだろうか、と考えてみました。正直言って、10代から30代までの私にはそういう願望があったことは認めます。同窓会か何かで出会ったとしたら、という妄想をしてみたこともあります。
 しかし、同窓会に以前一度行ってみたところ、そういう気持ちにはなれませんでした。高3の時に、中3のクラスの同窓会に出かけたことがあります。私の同級生は子年生まれの方が多くて、互いに仲良くするよりも競うことを好む、ライバル意識の強い集団でした。学校生活では、そのくせ人と違うことをする者には冷たく、いじめる、集団リンチする、仲間はずれにする人間の集まりでした。久しぶりに再会したのに、自分こそは頑張っていると皆、口々に主張して見栄を張りたがる。まさにネズミの共食いをイメージさせる集まりでした。特に女性は、中学生の頃のようにすっぴんじゃないし、見慣れない私服だったので、誰が誰だかわかりませんでした。誰に声をかけていいか、さっぱりわからず、誰にも声をかけられませんでした。テレビドラマなどの同窓会のシーンとは似ても似つかない現実がそこにはありました。
 もう一つ、同窓会といえば、二十歳(大学二年)の時に、高校の学年合同の同窓会がありました。が、私は学校の勉強が忙しくて、その同窓会は欠席しました。もともと私は、高校の頃よりももっと勉強がしたいために大学へ行ったのです。その当日も、週に一度の中級フランス語の授業がありました。1時間半の授業がわかるために、3時間の予習と1時間の復習を欠かしませんでした。語学や文学関係の授業は出席数が多くないと単位さえもらえなかったので、予習・復習に時間をさいて必死に勉強していました。今になって考えてみると、1日くらい勉強をさぼっても、さしさわりなかったようです。でも、まだ学生の身であったので、仕事を持って一人前になるまでは同窓会には顔をだせないかな、と固く考えていたのだと思います。後で知人に聞いてみた話によると、その同窓会には女性は多数参加したが、男性は二,三人しか出席しなかったとのことでした。仕事やら勉強で、ほとんどの男は都合がつかずに欠席したらしいのです。二十歳の同窓会は早すぎたのかもしれません。やはり私の同級生は、同い年同士で仲良くするよりも、将来の自分自身の生活を考えて、努力して頑張る、人生で競うことを忘れない仲間たちなのでした。その結果は大したこと無くても、ある意味で自分自身に嘘をつかない、自分の人生に誠実な者たちだったのかもしれません。
 それ以降、私の知る限りでは、同窓会は一度も無かったようです。現在、かつての同級生のほとんどは子育てとそれを支える仕事に忙しくて、同窓会どころではなくなったようなのです。たとえ同窓会があったとしても、「頑張った」「頑張っている」の見栄の張り合いで、友愛や恋愛どころか競争心や虚栄心に振り回されそうな気がします。
 ところで、私にとって20代半ばの頃は、コンピュータのソフトウェア会社で、やっと仕事に油が乗ってきた頃でした。その年のクリスマスは、兵庫県高砂市のM重工へロボット制御ソフトウェアの現地調整テストのために出張していました。夜に寄宿先の個室でたまたまテレビの洋画劇場を見ていたら、『恋におちて』というアメリカ映画がやっていました。40代の男女の不倫の映画でした。ロバート・デニーロメリル・ストリープという2大スターが共演の、しかし、地味な映画でした。が、当時の私の盲目な結婚願望が打ち砕かれてしまうくらい美しい映画でした。ひょっとしたら、結婚よりも不倫の方がいいのかな、と幻想を抱かせそうな、巧みなストーリーの展開に感じ入ってしまいました。メリル・ストリープの計算された演技もなかなか興味深い。ニューヨーク郊外を走る地下鉄線とその風景がきれいで、心が洗われる映像です。当時の若い私は、中高年になってもこんな素敵な恋愛ができるのかなあ、とすっかりこの映画に感化されてしまいました。
 しかし、現在、我が身を省みた時に、同い年くらいの女性との不倫はありえないと思いました。私と同い年くらいの女性のほとんどは、旦那さんもいれば、子供さんもいます。私は結婚をしたことがありませんから、恋愛よりも家族愛に憧れますし、気になります。ヨン様じゃないですけど(ヨン様とは意図が少しズレているかもしれませんが)、「恋愛よりも、家族愛ですよ。」と相手に言いそうな気がします。「あなたの恋心は、家族への愛情をすりかえたものにすぎないでしょうから、もっと旦那さんやお子さんを大事にして優しくしてあげて下さい。それが家族愛というものです。旦那さんやお子さんを悲しませないであげて下さい。」と言ってしまいそうな気がします。
 要するに、結婚で幸せになる権利があると主張する人は、そのためにどんなつらい義務でも果たす覚悟がなければいけないということです。それが、結婚制度が社会の制度の一つとして認められている本当の理由なのです。結婚が認められている年齢になれば、それだけの責任を負えると社会は認めてくれるのです。したがって、まわりの皆から幸せを祝福されても、大人としての大きな責任が待ち構えていることを忘れてはいけません。
 それでも不倫がしたい、恋愛がしたい、旦那や子供なんかどうでもいいというのなら、結婚している価値はない、と言わざるおえません。それならば、結婚制度という社会制度に頼らずに生きていって欲しいものです。
 『恋におちて』の映画を見ても、どうやら前の相手と離婚しちゃうかな、どうかな、というところで映画は美しい終わり方をしています。人間にとって、システム(制度)よりもハート(愛情)が大切なんだな、と感じさせてくれます。自然にそう思わせてくれる、映画っぽい作品だと思います。