私のプロフィール 実は東大でアルバイトをしていた

 私は男女共学の影響を受けてか、それとも、ただの偶然か、小中学校から高校、大学まで、クラスの半分は常に女子でした。そういう環境はうらやましいと一般に思われるかもしれませんが、必ずしもそうでなかったことは現在の私の姿を見れば明らかです。
 特に、大学生になって、文学部英文学科に入ってしまったことは、致命的な失敗でした。当時は女子の方が、英語などの語学が得意で英語がペラペラな人も多数いました。しかも、私の編入したクラスは浪人生から合格した人が多く、私のように現役で受かってしまった人間から見れば、同級生と言うよりも上級生のお兄さんお姉さんばかりで、付き合いにくかったです。
 その結果として、あまりクラスメイトとは付き合わず、サークル活動にも入らず(当時その大学の学生自治会では学生運動が盛んで、私はこの件で親に厳しく監視されていました。)、一人で勉強ばかりしていました。今考えてみると、ガールフレンドの一人くらい作っておけば良かったと思うこともありますが、そうなりませんでした。なぜならば、私の性格からして面倒くさいが先に立ってしまったようです。
 大学というところは、今になって思い出してみてもそうですが、勉強をすることに関しては最高の条件がそろっていました。(そのわりには、社会に出て役に立たない知識ばかり私は学んでしまいましたが…。)とにかく、英語の得意な同級生の女子たち(つまり、私の敵)に、ペーパーテストで勝ちたくて必死に一人で4年間勉強していました。それなりに学業成績の結果が出ましたが、何か空しい気持ちで卒業を迎えてしまった気がします。
 そんなふうでしたから、沢山時間があった夏休みは有意義に過ごす必要がありました。私の通っていた大学の、飯田橋キャンパスの建物の入り口付近には、当時就職のあっせんやアルバイトのあっせんなどの掲示板がありました。そのガラス張りの掲示板には、就職やアルバイトの紹介のメモ書きが並べて貼られてありました。それを見て、大学の事務窓口に申し出ると、アルバイト先を紹介してくれます。私は、一年生の時に浅草の本の問屋さんに、本の仕出し作業に行きました。分厚い英和辞典を定価の二割引で売ってもらったことを今でも覚えています。しかし、二年生の夏休みは、別のアルバイトをしたくなりました。
 例のアルバイト紹介のメモ書きには、『東大 数学教室 1名』と書かれていました。幸いなことに、当時の飯田橋キャンパスには、文学部と経済学部と社会学部つまり文科系の学生しかいませんでした。従って、数学や理科が嫌いな学生が少なくありませんでした。このメモ書きを見て敬遠してしまった学生が多かったことでしょう。
 私は、例の手続きで紹介されて、東大の本郷キャンパスの南にある龍岡門に近い(当時の)理工3号棟の、4階の隅っこにある三角形の間取りの小さな部屋に行きました。そこが、『数学教室』と呼ばれる部屋でした。そこは、実は民間の業者で、元印刷工だった60歳くらいのお爺さんがそこで経営をしていました。同じ棟で研究している修士や博士の学者さんの論文などをそこで印刷して簡単な製本をします。理工系の博士の学術論文をうかつに外に出して印刷業者に頼むと、紛失したり誰かに盗まれたりして大変なことになるので、そこで印刷しているのだ、と私は聞きました。私はそれから三年間夏休みの間だけアルバイトとして雇ってもらうことになりました。
 そのお爺さんにとっては一人でこの仕事をやるにはもう歳なので、夏休み以外でも来てくれないかと頼まれましたが、「いいえ、学業があるので、夏休みの間だけでお願いします。」と私はすこし格好つけて答えました。当時「大学生は普段は暇で、時間があり余っている。」と一般に思われていました。実際に、私の周りにも、滅多に授業に顔を出さない人が少なからずいました。私のように、真面目に授業を受けて勉強をしていた人間は珍しかったのかもしれません。
 アルバイト中、私は白衣を着て作業していました。輪転機という印刷機械を使いました。ガリ版和文タイプで打たれたものを版下原稿としてドラムにくくりつけて、そのドラムを回転させる毎に自動挿入された紙に印刷していきます。その時インクが多少はねることがあり、普段着ている衣服に付着するとそれを落とすのが困難でした。それを防ぐために白衣を着せられていました。
 私などは、その白衣を着たまま昼休みによく外へ一人で散歩に行っていました。本郷キャンパスの中央にある三四郎池に行ったこともあります。また、医学部の建物の外で生体実験用のヤギを飼っていたのをしばしば見に行きました。白衣を着て東大生のふりをして、東大のキャンパスを歩き回っている私は、まさに『なんちゃって東大生』でした。
 慣れない仕事で、手のひらはインクでしばしば真っ黒になりました。けれども、そうしたアルバイトの毎日は、お昼のために龍岡門のすぐ外にあるお弁当屋さんに、当時一番安かった、のり弁当とか『かき揚げ弁当』(おきあみをかき揚げにしてご飯にのせた弁当)とかを買いに行ったりして、それだけで満ち足りていました。
 そうした環境の中で、いろいろ面白い話も聞けました。例えば、東大生と言うと、東大に合格して入学できた人たちが全員頭が良くて、全員エリートコースを歩んで、全員素晴しい職を得て、全員人生の成功者になれるようなイメージがありますが、現実はそうではありません。それはあくまでもそういう東大のイメージであり、実際は学部学科によっても個人によってもさまざまであることを、私はこのアルバイトをしているうちに知りました。そのことに、ここでは詳しく言及しませんが、このアルバイトをして、ちょっとだけ社会勉強をして利口になったな、と思いました。