『ドキドキベイビー』を超・解釈する

 またもや真野恵里菜さんの曲で恐縮ですが、この曲の前奏のタラッタラッタンという音楽が私は大好きなので、今回取りあげてみることにしました。この甘ぁ〜い音楽は、本上遼さんという謎のミュージシャンが手がけています。このお方は、作詞・作曲・編曲のどれもできるオールラウンド・プレイヤーのようですが、正体が不明です。私がこの記事を書いている時点では、ウィキぺディアにも掲載されていません。その素姓が不明なのです。しかし、私にとってはその人の正体よりも、作った歌詞や曲の内容に興味がわきました。
 真野恵里菜さんの曲と言えば"NEXT MY SELF"も良いとは思います。曲も歌詞も上手くまとまっていて、その内容もわかりやすく、その英語への翻訳のいくつかも平易で何も問題なく思えました。よって、私ごときがあえてその翻訳に挑戦することもなかろう、と考えました。そのMVやライブの映像も、なかなか良かったので、私ごときの出る幕はなかろうと思いました。
 ところが一方、『ドキドキベイビー』のほうは、英文の字幕付きのMVが見つからないどころか、適当な翻訳も現時点では見つかっていません。事実、ネット上でその歌詞サイトの一つを見ると、日本語とローマ字表記の歌詞は出ているものの、Translation(翻訳)はNot Available(ありません)になっていたり、機械翻訳したみたいな辻褄(つじつま)の合わない直訳があるばかりでした。また、別の歌詞サイトでは『ドキドキベイビー』の英訳タイトルが『いいかげんな野郎』みたいな日本語の意味になっていました。ちなみに、"baby"という言葉の意味は「赤ん坊」「二歳までの幼児」が通例ですが、そこから派生して「かわいこちゃん」とか「坊や」とか「野郎」「いいやつ」などの意味を表す場合があります。私だったら、"Heart Beating Baby"と名付けるところです。
 ちなみに、現在の私は暴走老人ならぬ中年不良と言えます。こうしたギンギンのロック調の曲は、小学生の頃から大好きなのです。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものです。小学4年生の頃、たしか学校の体育館の中の大きなスピーカーのそばで、ロックンロールの兄ちゃんたちの大音響を耳が聞こえなくなるほど聴いてしまって以来、私の人生は変わってしまったと言えます。私の両親にとっては騒音にしか聞こえないものでも、私には音楽として普通に聞こえるのです。
 やっぱり、ギンギンのロックには、海賊の言葉っぽい英語がよく似合うと思います。かつて、ヨーロッパでもロック調の曲は、イギリスではなくても、英語で歌われていました。この『ドキドキベイビー』についても、ぜひ英語でカバーしてみたいものです。しかし、その前にいくつかの謎や課題に挑戦してみようと思います。
 まず、この曲の冒頭の「おぅ、イェー。ヤホー。いや〜ん。」の「いや〜ん。」が理解できない。困惑する。という外国人ファンの意見があります。「いや〜ん。」は「嫌(イヤ)だ。」のくだけた表現だということまではわかるけども、最初に元気に肯定(Oh, yeah)しているのに、それと矛盾して否定(Oh, no)するのはおかしい、という意見なのです。
 それに対する私なりの解釈は以下のとおりです。曲中の「CHU CHU CHU」の状態が「おぅ、イェー。」に、「PI PI PI」の状態が「ヤホー。」に、「NON NON NON」の状態が「いや〜ん。」にそれぞれ対応していると見ることができます。それらの三つの状態が読み解ければ、冒頭の言葉の謎も解けると思います。
 そこで、本上遼さんの甘ぁ〜い歌詞について、ここで考えてみましょう。「CHU CHU CHU で始まる恋でも」という歌詞に対して、「チューで始まる恋」って、何てイヤらしいんだ。けしからん。と思った真面目な人が多いと思います。しかし、チューをあの「いやらしいキス」の表現としかとれないのは、本当に正しいことなのでしょうか。頭が固すぎはしませんか。と私は問いたいと思います。
 この曲のタイトルは『ドキドキベイビー』です。わざわざタイトルでベイビー(Baby)とことわっていることを思い出してください。つまり、このCHUは「ぼくでチュー(僕です)。」のチューという幼児語のことなのです。そうなると、そのPIも幼児が「ぴっ。」と大きな声を出すのと同じ幼児語の表現と言えます。(ちなみに、幼児がピーピー泣き叫ぶ、もしくは、悲鳴をあげる、という表現もあります。)同様に考えてNONは、幼児が大粒の涙をこぼしてイヤイヤしている様子を想像できると思います。つまり、イヤイヤする様子を表す擬態語です。泣き叫ぶ幼児にイヤイヤをされて、我が子に困惑された親ごさんも少なくないことでしょう。そうやってイメージすれば、この曲の歌詞はいやらしくて、けしからん。などとは思わなくなることでしょう。作者の本上遼さんがそこまで考えていたかは定かではありませんが、私には以上のごとく解釈できました。
 さらに私は、それにとどまらず、超びっくり解釈を試みたいと思います。実は、そのCHUは、上半分が二つに膨らんで下半分がすぼんだ形のハートマーク(heart shapes = something heart-shaped:ハート型のもの)が生まれる様子を表現したものと考えるのです。つまり、恋が始まるとハートマークが生まれて、シャボン玉のように空中に浮かんで漂っている感じをイメージしてみましょう。CHUとは、そういう漫画チックな擬態語だと考えてみるわけです。CHU CHU CHU で、三つのハートマークが次々と生まれて、空中に漂っていきます。さすがにそこまでは、作り手側の本上遼さんも想像していなかったと思われます。でも、そんなふうに想像してみると、いやらしい大人の想像のチューよりも、格段に上品でクールなイメージを感じさせると思います。
 こうしたことを踏まえて、今度はこの曲のドキドキ感について考えてみましょう。それがわからないと、何でこの曲の主人公は、そんなに歌詞の上で混乱しているのかが実感できないと思います。例えば、あの『クイズ・ミリオネア』というテレビ番組を考えてみましょう。MCのみのもんたさんから「正解。」か「残念。」かを告げられる直前の、解答者の抱く緊張感、すなわち、ドキドキ感を考えてみるのです。みのもんたさんの冷ややかな視線を感じて、解答者は、自ら言った答えが間違っていたらどうしようと、ドキドキしてしまうのです。
 つまり、『ドキドキベイビー』とは、いまだかつて自らの本当の気持ちを相手に伝えた(告白した)ことのない、デリケートな女子の、告白直前のドキドキ感を表現した曲と見られます。そんな女子の抱く気持ちの揺れ(イエスとノーの間の心の揺れなど)を、妄想や内心の声などによって、事実に基づくのではなくて仮想的に表現しています。だから、あまり難しく考えることはないのです。「ずっと そう 以前から/あなたと... こうなる事...」というフレーズがあったとしても、いやらしいことや変なことに実際になるわけではないのです。それを聴き手が先回りして、変なことを想像してしまうことに誤りがあると言えます。思わせぶりな歌詞なので、それは仕方がないことかもしれません。けれども、作り手側の言葉の罠にかけらてしまっていることに、聴き手側としては気づくことが大切です。
 つまり、この曲は、歌い手の真野恵里菜さんも言われているように、イベントやコンサートでファンと一緒に盛り上がるための曲(英語で言うと、cheer-up song)です。聴き手側が「ひぇー。」と興奮してしまうような楽しい感覚とか、正しい弾(はじ)け方や跳(は)ね方といったものが、この曲のキモであり命でもあるわけです。
 ところで、「めぐりめぐるよメロディー/とっても 素敵だわ」というフレーズがありますが、英文にどう訳したらよいでしょうか。ちなみに、その箇所だけを翻訳不能と判断して日本語で記載しているものも、ネット上の歌詞サイトの一つにはありました。また別の歌詞サイトで"The melody is spinnig"という英訳もありましたが、頭の中でメロディーがぐるぐる回っているという意味でしょうか。私の気のせいかもしれませんが、めまいがしそうな感じです。日本語の歌詞を読んでみると、見たところ、単なる言葉の語呂合わせで、意味不明にも感じられます。けれども、それが表現している気持ちや雰囲気とかを、何とかして英語の歌詞の形にして伝えてみたいと私は思いました。それは、次回までの宿題とさせて頂きます。