AIロボットのリスクを考える

 かつて私は、2020年7月6日に『心や感情を持ったAIの悲劇』というタイトルのブログ記事を書きました。その当時の私が考えていたことを、こと細かく述べていました。しかし、あれから世の中も変わってきて、AI搭載ロボットもさらなる進化を遂げつつあり、人間にとって代わりつつある事例もいくつか見られるようになりました。さしたる危機感もなく、いつのまにかAIロボットに切り替わっているという事例もあるようです。そんな時だからこそ、その『EVA』という映画の内容を今一度、振り返ってみるのも良いかと思いました。以下に、以前とは少し違った視点と表現で、まとめてみました。

 かつて、カッコいい予告編としてYouTubeサイトで話題となっていた、スペインの映画『EVA』について少しだけお話ししましょう。主人公の男性の元恋人で、今は人妻となってしまった女性の、その一人娘は、実はOOだったという話でした。

 この映画のテーマとして重要なのは、AIロボットがどうしても越えられない壁が、人間の側にあるということだと思います。もちろん昨今は、日々AIロボットが人間の代わりをするようになっていくように、現代の私たちには感じられます。一方、この映画では、そのような風潮に警鐘を鳴らすような内容になっています。しかも、それは、人間の側(人間の心や感情など)に問題があることが、その劇中で指摘されています。すなわち、人間の心や感情をAIロボットが模倣することは、人間の側から見てシステムエラーと見なされやすい、ということです。例えて言えば、オートバイの暴走が、人間に死をもたらすようなものです。人間同士の徒競走では、考えられないような事故が、悲劇として起こるわけです。そこには致命的な欠陥があり、そのように悲劇を人間の側にもたらすものだったのです。

 したがって、AIロボットはどこまで進化してもAIロボットであり、人間と同等にはなれない。人間の代役はつとまっても、その人間そのものになることはできない。AIロボットにはAIロボットとしての扱われ方があって、人間を扱うのとは同じにならない。つまり、AIロボットが人間並みに扱われるリスクについて、もっと人間の側から考えてもらいたいと、この映画は訴えているのかもしれません。