そもそもAIって何なのか?

 最近、「人工知能(またはAI)搭載の機器」とか「人工知能(またはAI)の急激な発達で…」というような文句をしばしば聞くようになりました。そうした人工知能(またはAI)が、私たち人間の生活に役に立つようになると宣伝される、その一方では、私たち人間に取って代わるような存在になるとして懸念もされるようになりました。
 そうしたことから、私は次のようなことを感じさせられました。昨今の人工知能(またはAI)普及のための宣伝文句には、クライアントからの注文や要求を喚起するという意味が多分に含まれている。あるいは、そうした宣伝文句は、一般のユーザに、ある種の興味を喚起させるという意味を持っている。と、そのように私には感じられるのです。
 そもそも、『人工知能』という言葉は、『人工衛星』や『人工心臓』や『人工皮膚』や『人工授精』や『人工呼吸』や『人工芝』などなどといった言葉と同レベルの、すなわち、同じ類(たぐい)の言葉のはずでした。しかし、私たちは、『知能』という言葉に『頭脳』という言葉を重ね合わせてしまいました。『人工知能』というものは、『人工頭脳』あるいは『電子頭脳』と同じ意味の言葉であると、自動解釈されてしまっているように思われるのです。
 そこで、私は、『人工知能(または、AI)』という言葉が、元来どういう意味を持つ言葉であるのかを推測してみることにしました。この言葉は、英語のフルスペルでは、”Artifical Intelligence”とつづります。私の手元にある英和辞典によると、”artifical”というのは、「人工の、人造の、模造の」の意味を表す形容詞で、”natural”(「自然の、天然の、自然のままの、加工していない、手が加えられていない」)という言葉と反対の意味を持っています。ちなみに、”artifical person”は、『法人』という意味の法律用語です。
 また、”intelligence”は、「知力、理知、理解力、聡明、利発、知力の現れ」などを表す名詞です。その形容詞”intelligent”は、「(人・動物が)高い知能を持つ、頭のよい、聡明な、(行為・発言が)頭のよさを示す、気のきいた」という意味で用法が決まる言葉です。「理解があって的確な判断を下す能力があって、すぐれている人」を”an intelligent person”と言います。よく日本で「インテリ」とか言われる人は、この類の意味を持っていると思います。
 こうした意味に近い和製英語かなと私は誤解していましたが、”intelligent printer”とか”intelligent keyboard”という言葉もありました。最近では、プリンタやキーボードが、インテリジェントなのは当たり前のことですが、昔のコンピュータ技術者であった私は、「プリンタやキーボードが知力を持ったもの」と考えていました。しかし、今日(こんにち)私の手元にある英和辞典によれば、「コンピュータの機能の一部を果しえる」プリンタやキーボードのことでした。つまり、プリンタやキーボードのハードウェア内に、プログラム可能な半導体チップやサブCPUが埋め込まれていて、コンピュータ本体のCPUと作業を分担して、本体CPUの、入出力データのやりとりの負担を減らす働きを持っているプリンタやキーボードのことだったのです。したがって、これらの言葉は、和製英語ではなくて、れっきとしたコンピュータ用語なのでした。
 それはともかく、私の手元にある英和辞典によると、”artifical intelligence”というのは、コンピュータ用語で「人間の知能とみなされる働きを行う装置」のことであり、すなわち、それが『人工知能』のことであると書かれていました。
 以上のことから言えることは、本当は「人工知能(またはAI)というものが私たちの目の前に突如として現れて、急激に発達し拡張している」のではないということだと思います。確かに、『人工知能搭載』と言われている機器は、私たちの身の回りに増えてはいますが、それを研究し開発し商品化する人たちの努力といったものは、これまでの知識の蓄積に基づいた地道なものと思われます。
 もともと、コンピュータシステムのハードウェアとソフトウェアは、人間の頭脳ではなくて、知能の部分を模すことを目指して設計されている(あるいはデザインされている)と言えます。どんなに古いコンピュータシステムであっても、何らかの知能的な部分がわずかでもあったと思います。よって、人工知能と呼ばれるコンピュータシステムが、そこからどんなに発達しようとも、その基本的な部分をくつがえして、まったく別の仕組みになることは、今のところ100%ありえないと思います。
 確かに、コンピュータシステムのハードウェアとソフトウェアの新旧の入れ替わりは著しく見えるかもしれません。そして、それは、急激な発達に感じられるかもしれません。しかし、それは、今に始まったことではなく、私が若かった20年も30年も前からそうなのです。
 それでいて、20年も30年も前に私の身の回りで動いていたマイクロコンピュータの製品が、今ではほとんど動いていません。つまり、どんなに最新のコンピュータシステムであっても、時間が経てば寿命がきます。ひょっとしてその寿命は、自動車よりも短いのかもしれません。私の所持していた携帯電話は、この13年間で、3台お釈迦になって、そのたびに新しい機種に買い替えました。半導体チップは、気密性があって長持ちする反面、素人(しろうと)が簡単に修理できないという欠点を持っています。ひょっとして、私たち人間よりも、高度な精密機械のほうが意外と寿命が短いのかもしれません。
 小説や映画やテレビドラマなどのフィクションの世界以外で、ロボットや人工知能が人間より長生きしたという話を聞いたことがないのも、少しばかり気になります。もしかして、私たち人間は、人工知能に対しても何か勘違いをしているのかもしれません。そのことに関して、何か盲点があるように思えて仕方がないのです。