K国のウィズ・コロナはちょっと違う

 対岸の火事と考えていけないのは、言うまでもありません。わがN国のお隣のK国の、最近の感染状況がテレビのニュースで報じられて、少し気になるところです。新規感染者数が増えていることには、それほど心配は要らないのかもしれません。けれども、高齢者の重症化や死亡が増えていることが気になります。
 総じて、N国とK国の何が違うのでしょうか。K国のお医者さんへのインタビューを時々私はテレビで聞いていました。「感染拡大を防止するコツがあるというのならば、N国に聞いてみたい。」とか「新型コロナウィルスは毒だから、人間の体内に入れてよいはずはないし、共存共生(つまり、ウィズ・コロナ)なんてできるはずがない。」といった意見を、私は聞いています。
 その答えとして適切かどうかは私自身にもわかりませんが、一応私も私なりにそれについて考えてみました。まず、現時点でN国とK国の何が最も違うのかと申しますと、「これまでの日常に戻る」という考えの受け止め方にあると思います。新型コロナウィルス感染症の流行に伴う個人に対する制限が多かったK国では、そうした行動制限の無かったその流行前の(つまり、いわゆるゼロ・コロナの)従来の日常に無理をしてでも戻ろうとしているように、私には見えるのです。このことは、欧米で感染再拡大をしている地域についても、共通に言えることだと思います。「従来の日常に戻る」ということは、これまでの新型コロナウィルスにとっても、リバイバルしやすく棲(す)み慣れた絶好の環境作りだと言えましょう。共存共生と言うよりも、このウィルスのために人間側が虐(しいた)げられ犠牲になっている状況に近いと言えましょう。
 その一方で、なぜN国は、現時点で、その感染症流行のレベルが低くなっているのかと申しますと、その国民が「ニューノーマル」だとか「SDGs」だとか「石油価格高騰」だとか「地球温暖化」だとか「第6波が心配」だとか何とか言ったり、それらを言いわけにして、「従来の日常に戻る」ことや「ゼロ・コロナだと信じていた時代の経済を取り戻す」ことに積極的でないことが一番の原因なのではないかと思います。従来の日常を取り戻すという意識も経済的な活動も、十分ではありませんし、取り戻せていません。さらに、その度重なる延長と、これまで何度も発令した緊急事態宣言の影響により、N国国民のほとんどは、従来の日常に戻ることを忘れてしまったようだと言えます。つまり、N国では、緊急事態宣言が解除されたとはいえ、この感染症が流行する以前の日常生活に戻ろうと考える人、あるいは、あの頃と全く同じ環境や行動に戻したいと考える人は、ほとんどいないということなのだと思います。
 そして、『ウィズ・コロナ』に対するN国の考え方も、K国のそれとは違うようです。N国では、「ウィルスみたいな仮想敵国と仲良くしても、共存共栄はできない。」というK国のような考えは無いと思います。N国において『ウィズ・コロナ』とは、「日常で新型コロナウィルスの存在を意識して生活していく。」という意味に近いと思います。新型コロナウィルスの存在を無視しないで、これまでとは違う新たな日常生活を作っていく、ということなのです。そのように意識を変えていって、行動変容していけば、K国の感染拡大も収まっていくのではないかと、私は予想しています。