テレビの街頭インタビューを観ていたら、「マスク・手洗い・3密をしっかり守っているのに、これ以上どうしたらいいのでしょう。」という意見の奥様がいらっしゃいました。ごもっとも、そのとおりだと思います。しかし、念を押して私は申しますが、本当にそうなのでしょうか。模範解答が多い優等生の皆様のおっしゃることをいちいち疑う私は、へそ曲がりなのでしょうか。常識を疑うということが、そんなに悪いことなのでしょうか。
エジソンやアインシュタインなどの伝記を読むと、次のようなエピソードに出くわします。子供時代に学校で初歩的なことを学ばされた時に、どうしても呑み込みが悪くて、教師から「何て頭の悪い子なんですか。」と保護者の親が叱られた、という話です。そのエピソードの真偽のほどは不明です。その後の偉大な業績を考えると、多分そうだったんじゃないかなという憶測に基づくエピソードなのかもしれません。そうだとしても、このようなことが私には、意外に参考になって役に立ちます。「1たす1が、どうして2になるのか。」という質問を受けて、「世間でみんなそう言っているから。」とか「算数のルールとしてそう決まっているから。」とかいう以外に明確な答えが無いのが皆様の置かれている現状です。多くの皆様がそれを当たり前だと考えていることと思います。私の今回のブログ記事を読んでいただければ、それ以外にも正解の可能性があることがわかります。今回は、3密回避策に立ちはだかる2つの障壁から、その正解にたどりつける糸口を思索してみましょう。
一つは、3密のうちの『通気の悪い、密閉空間』に関する、現代の私たち日本人にとって致命的な情報です。かつての私たち日本人のほとんどは、木造家屋に住んでいました。しかし、地震や台風・洪水などの度重なる天災を経験していくうちに、木造家屋の再建を断念して、堅固な建物に改築するようになりました。それに呼応して、エネルギー効率の良い家屋が多くなりました。
かつて、木の柱、木の梁、土の塗り壁によって構成されていた木造建築では、部屋中すきま風が吹いていました。言い換えれば、窓などを開けなくても、自然に通気がされていたのです。一方、現代の日本では、家の中をほぼ完全に密閉することによって、夏は冷房の効きを良くし、冬は暖房の効きを良くしています。つまり、現代的な家屋では、冷暖房のエネルギー効率が密閉された空間では良くなって省エネが実現できています。これが、現代の私たちの生活の常識となっています。
しかし、残念なことに、その私たちの生活の常識そのものが、家庭内感染を引き起こしやすくし、飲食店での感染をしやすくして、新型コロナウィルスの感染を拡大させているのです。現代的な家屋は、密閉型家屋が多いため、家庭内で感染拡大を防ぐことは困難です。せいぜい、室内空気のこまめな換気をするしか手がないというわけです。そうなると、家庭外での飲食で感染するリスクを減らすしかなく、そのしわ寄せが飲食店の時短につながっているというわけです。飲食店も、密閉式家屋が多いことに変わりはなく、屋内空気のこまめな換気が必要です。感染症の専門家さんがチェックしてみると、それがうまく行っているお店はあります。しかし、問題は、地下やビルの建造上・構造上の理由で、窓が無かったり、窓や換気扇があっても十分な通気ができなくて、冷暖房の効きは良くても密閉空間が解消されず、人がウィルスにさらされる量を減らすことができない(その詳細は、後で3密の検証の中で述べます。)ので、感染が止められません。以上のように、私は、現時点の状況を分析しております。つまり、現代的な日本の家屋が、密閉空間になりやすく、家庭内と飲食店から感染拡大が起こりやすいという、構造的な問題があります。構造的な問題なので、簡単には解決できません。
だから、どうにもならないし仕方がないじゃないか、という意見が上からでも下からでもあります。私は、過去の「仕方がなかった」に責任を追及するつもりはありません。そんなことをしても、何の役にも立ちません。現在から未来にかけて「仕方がないから何もしない」のは無責任だと言っているのです。これまでの常識では、にっちもさっちも行かないかもしれません。けれども、こんな時こそ、失敗しても仕方がないかもしれませんが、これまでの常識を捨てることによって、名案を見つける努力をしてみてよいと思います。大家さんに許可をいただいて、家屋の壁に風穴を開けた飲食店の例がありましたが、それに対する感染症の専門家さんからの評価はある程度妥当だったと言えましょう。構造的にどうにもならないことでも、柔軟な発想で乗り切れることがあります。だから本当のことを言うと、上からの強制ができないのは、完璧な正解が無いからです。「国のトップが甘いから強制力がない。」という短絡的な意見やコメントこそ、大衆の無気力で無責任な発言と言えましょう。
ちなみに、私の住んでいるアパート間取り1Kでは『すきま風作戦』を実施しております。密閉型の部屋であるにもかかわらず、夏を換気で涼しくするために、北側にある玄関の上に、開閉式の小窓が付いています。その小窓が、閉めても閉めても、冬の北風で空いてしまい、冷たい空気が自動的に入ってきます。欠陥と言えば欠陥なのですが、部屋を閉め切って暖房で温めることをしたことがない私は、修理が不要と判断しました。その玄関の反対側にある南の壁には、冷暖房のダクトを通すための穴が塞(ふさ)がれていましたが、そこに指が1本入るだけの穴が開いていました。おそらく、私の前にこの部屋に住んでいた人が開けた穴だったのでしょう。外からの空気が24時間をかけて自然に少しずつ流れているようです。火の用心のために暖房器具を使わず、冬は重ね着・厚着を駆使して、それでも寒い時は、布団に潜りこんでいます。
そもそも、私の東京の実家が時代に取り残された木造家屋でした。そんな場所で生まれ育って生活していましたから、私はそういう生活に慣れていたのです。私の東京の実家では、今でも、ガスストーブやコタツをつけても、部屋中が温まることはなくて、必ずどこからかすきま風が吹いてきて寒いです。住みにくい家で、これまでは、現代風に冷暖房が効く家がうらやましい、というのが私の実感でした。
さて、一つ目の障壁についてはここまでにして、もう一つの障壁について述べましょう。当初から、新型コロナウィルスの感染は、接触感染と飛沫感染だけで空気感染はない、と言われてきました。つまり、「このウィルスは空気感染は無い。」という知識情報がありました。新型コロナウィルスに恐怖を抱いていた私たちの多くは、そのことを聞いて安心してしまい、それ以来、その知識情報に縛られることになってしまいました。すなわち、空気感染やエアロゾル感染の可能性というものを全く考えなくなってしまいました。すなわち、それは致命的な盲点を自ら作ってしまったのです。
空気感染と同じような意味の『飛沫核感染』という言葉を全く知らない人も多いと思います。余計な情報や知識と思われるかもしれません。念のために知っておく程度の情報や知識と考えていいのかもしれません。しかし、原因がよくわからない感染拡大を理解するためには、これまで常識としていたことが当てはまらないことが現実に起こっていると気づくべきです。「そんなことくらい何ともない。」と、何の検討や思索や議論も無く、それをあたかも無いかのように見逃してしまうのは、例えば、風邪をこじらせて、症状の急変や重症化につながることなどで、私たちがしばしば経験してきたことだと思います。ムダだとわかっていても、それを検討すること自体はムダではないことが多いものです。
ここは、まず常識を疑うことから始めます。ただし、「常識を疑う」というと、特に文科系の人たちは「常識を否定する」という意味にとってしまう危険があります。今ある常識に一つでも当てはまらない例が見つかると、その常識を全面的に否定して、新たな常識を作るべく一から始めるという時間の浪費をやりがちです。それによる対処の遅れは新たな致命傷となります。これまでどおりの常識でうまく行く部分はそのままにして、これまでの常識では通用しない部分を改善していくことが望まれます。何でもこれまでのルール(常識)でうまく行くのであれば、誰も苦労はしないし、何も問題は起きません。しかし、少なくとも、現実は、私たちの生活はそうではありません。必ず苦労はあるし、必ず問題は起きます。
したがって、「常識に従う」ことは模範優等生的ではありますが、それが常に正しいとは限りません。考えや思いが行き詰って、「これまでこんなに努力してきたのに、これ以上何をしたらいいのか」がわからない、ということになるのです。大切なのは、自身のわからなかったこと、すなわち盲点に気づくことであり、中途半端に理解しないことです。寄り道して苦労や失敗をしても、自身の頭で考え抜けることが本当の幸せにつながるのかもしれません。(私の3密の検証は、少し話が変わるので、またまた次回に回します。)