「のど飴がコロナに効く」ってウソだけど…

 これも先日テレビのニュースで知った話ですが、女児誘拐の新しい手口(?)が発覚したとのことです。その男は、「コロナウィルスに効く『のど飴』をあげるよ。」と言って女児に近づこうとしたとのことでした。誘拐されそうになったとはいえ、結局大事には至らなかったようです。
 これは私の妄想ですが、その男は女児にのど飴をなめさせた後で「ほうら、のど飴をなめると、喉(のど)がスッキリして気持ちよくなっただろう。」などと言うつもりだったのでしょうか。想像の域とはいえ、気持ち悪いことを言ってしまいました。申しわけありませんが、いずれにしても、この男に対して私は反面教師にしてしまおうと思いました。
 「市販ののど飴が新型コロナウィルスに効く」などという嘘(うそ)がデマとして広がると、ありとあらゆる『のど飴』が買い占められて、店頭の棚から消えてしまうような感じがします。がしかし、そこにはいくつかの注意事項があります。まず、のど飴をなめすぎる人は砂糖による虫歯や歯周病に注意する必要があります。虫歯や歯周病が気になる人は、多少値段が高くなりますが、ノンシュガーやキシリトール入りのものがよろしいと思います。また、人によっては、のど飴に含まれているハーブの成分が体に合わないことがあるとのことです。そうしたハーブの成分を含まない『のど飴』を選ぶことが必要です。そしてまた、ビタミンC入りののど飴もよろしいかもしれません。ビタミンCは粘膜を強くしてくれるという栄養効果があるそうです。ただし、それを摂取しすぎることにより、より健康になったり病気が治ったりすることはないようです。いずれにしても、それ以前に「のど飴が新型コロナウィルスに効く」わけがない、と常識的に考えることが何よりも大切です。
 女児を誘拐しようとしたらしい例の男は「相手は子供だから簡単にだませるだろう」と、あまり何も考えずにこの手口を思いついたのでしょう。けれども、私はこのことをよくよく考えてみました。すると、最近ちょっと気になることに思い当りました。『誤嚥(ごえん)』の問題にたどり着いたのです。
 誤嚥(ごえん)というと、「食事中に食べ物を喉(のど)につっかえる高齢者」のイメージが一般的です。しかし、最近の傾向によると、誤嚥が起きるのは食事中だけに限らず睡眠中にも起きうる、ということがわかってきています。また、誤嚥を起こすのは、高齢者のみならず、中高年や若者にも起きうる、ということもわかってきています。個人差はあるかもしれませんが、本当は気づいているか気づいていないかの違いだけで、誰でも無関係ではない問題となりつつあります。
 私の体験を申しますと、今月2日の夜に発熱したその2、3日前の朝、目が覚めた直後に異様な経験をしました。まだ床に伏していたのですが、上を向いたまま動かない姿勢で横たわっていました。ふと何か微量の液体が気管支を通って、スーっと降りていきました。なのに、咳(せき)も出ず痰(たん)も出ず、長く尾を引いて消えてゆく流れ星のように、それは静かにその痕跡が消えていくような感覚でした。寝覚めの直後の意識が続いていたので、寝ぼけていなかったことは確かです。でも、その瞬間に何が起きたのかは、私自身、しばらくわかりませんでした。いつもの私であったのならば、体を右か左へ横に向けて眠るようにして、上を向かないように意識していたはずです。しかし、その意識の支配を免れて、睡眠中の誤嚥が行われていたらしいのです。
 そもそも、私が体を右か左に横向けて眠るよう心がけるようになったのは、風邪をひいて鼻水が出るようになって、鼻水や鼻の粘膜が喉のほうへなるべく多く流れていかないようにするためでした。風邪をこじらせるなどして、鼻粘膜や扁桃腺などのいわゆる上気道の防御を通過してしまうと、風邪を引き起こす病原体が、喉を通って気管支や肺のほうへ行くということになります。そうなってしまうと、軽い鼻風邪や扁桃腺炎から気管支炎や肺炎に変わっていきます。そうなると、ただの風邪で済まなくなります。「風邪は万病のもと。」という諺(ことわざ)通りに、重篤化して、なかなか治りにくくなるばかりか、命が危険にさらされることになりかねません。
 一般的に考えてみると、人間の肌とか皮膚をただれさせないような病原体が、なぜ呼吸器官(鼻、喉、気管支、肺)に入ると炎症を起こすのか、ということが、そもそもの疑問と考えられます。それは病原体の側に何かがあるというよりも、人間の体の側に何かがあると考えるのが普通です。外部から空気と一緒に異物として入ってきた病原体が、これらの呼吸器官を通る時に、それらの粘膜に接触して炎症を起こします。その炎症が局所的なものに終わらずひどくなれば、発熱症状が体に出てきます。その人の体のコンディションによって、徐々にその症状が出てくる人もいれば、急激に出てくる人もいます。また、その症状が短期間の人もいれば、長期間の人もいます。それは、誰もが知っている一般的な知識のはずです。
 それでは、新型コロナウィルスの場合はそれとは違うと言えるのでしょうか。ほかの感染経路を特別にたどって、呼吸器官に入ってくるというのでしょうか。その答えがそうではないことは、誰でもわかると思います。(別に、私は「ウィルスが細胞内に侵入して、細胞内で増殖する。」等の学説を否定しているわけではありません。その辺を誤解しないでください。)
 しかしながら、私は、その『誤嚥』というものが無意識のうちに起きてしまい、どんなに注意しても意識しても避けることが難しいと知りました。もしも、少量の唾液の中に生き残った病原体がいたとして、それが呼吸器官の各所粘膜やせん毛などの防御を通り抜けて、肺に到達してしまうと考えてみますと、どうにも防ぎようがありません。それで何も起こらなければよいのですが、『誤嚥性(ごえんせい)肺炎』といって肺に炎症が起きて呼吸の機能が弱体化すると、血中内酸素が不足して、体の抵抗力も落ちていきます。すると、呼吸器官の各所防御機能も落ちていき、いわゆる負のスパイラルに陥り、時間の経過と共に急激に状況は悪化すると考えられます。よく『急性肺炎』というものがあって、急に症状が悪化するのはそうしたメカニズムに主によるのではないかと、私は考えています。その一例になるかわかりませんが、とりあえず述べておきます。私の祖父母は、1980年代にいずれも80歳代で亡くなりましたが、もともと肺疾患が無かったにもかかわらず、死亡診断書に書かれた死因が共に肺炎でした。
 感染症対策の一つに「大声を出さない。」というのがあります。大声を出すということはその直前直後に口から大きな吸気をしなければなりません。一気に吸い込んだ空気の中に病原体がいると、それが一気に肺に到達してしまう、ということもゼロではないということだと思います。そうとは言っても、病原体が肺の細胞に付いたとしても、即刻炎症を起こしたり、発症したりするわけではないと思います。それも、その人の体のコンディションによってさまざまであり、ウィルスなどの病原体と直接接触したから即死亡ということは、人間の作った細菌兵器でないかぎり本当はあり得ないことです。
 そう考えてみると、「不要な外出を控える。(Stay home)」という感染症対策の言葉は、2つの意味を持っていると考えられます。一つは、「多くの人が外出することによって、多くの人が集まる場所、すなわち、3密になって逃がれられない場所を少なくする。」という社会的な対策です。もう一つは、「個人の外出自体は問題ないものの、外出するということは帰宅しなければならず、そのたんびに外から病原体を持ち帰ってしまう可能性を各人が減らさなければならない。」ということへの個人的な対策です。後者については、少し説明が必要なので、その詳細は別の機会に譲ります。いずれにしても、「病原体を吸入してしまった呼吸器官にかかる、その負担を少しでも軽くしてあげる。」という目的が読み取れることは明らかです。外出の目的と同時に、自身の容体を十分に観て考えて、外出するか否かを判断することが必要です。ここまで読んできて気が付かれたと思いますが、肺にかかる負担にはリスクがあり、肺炎には注意が必要です。それはそうなのですが、別のことに気を取られて、そうした肺炎のリスクをどうしても見逃してしまうことが、ずっと恐ろしいことなのです。
 今の世の中では、ちょっとむせたり、咳(せき)をしただけで、周りから変な目で見られたり、あるいは、私たちはそういう人の近くにいるだけで、つい顔をしかめてしまいます。そういうご時世だから、と誰もが言うかもしれませんが、私たち一人一人がその加害者か被害者の側にいつ回ってしまうかは誰にもわかりません。知らず知らず誰もがやってしまうことが怖ろしいのです。

 今回言及した『誤嚥(ごえん)』についても、他人に迷惑は直接かけてはいないものの、咳(せき)や発熱と同じように生理的なものです。意識的に我慢をすれば、止められたり防げたりするものではないようです。
 実は『誤嚥』を改善するトレーニング方法はあります。唾液を飲み込む練習をすることです。これは、誰にでもできそうな方法です。それで、冒頭の『のど飴』の話に戻ります。ウソかデマかと疑ってもらってかまいませんが、その唾液を飲み込む練習に『のど飴』が使えそうだと私は思って、実践してみました。効果は人によってまちまちであり、科学的根拠もそれほどないかもしれません。「溺れる者は藁をもつかむ。」と笑ってもらってかまいません。再度、念を押しておきますが、「のど飴がコロナに効く」というのはウソですから決して信じないでください。
 今の現状で本当はどうしたらいいかと考えることを私があきらめてしまったと、側(はた)からは見えるかもしれません。たとえあきらめていなくても、不安なことは不安です。ただ、いくら不安になっても、不安が解消されるわけではありません。いくらパニックになっても、問題は何も解決いたしません。
 それでは、『誤嚥』についてよく知っている人から、「そんなこと普通の人は起こらないから、大丈夫だよ。」と言ってもらったならば不安が消えるでしょうか。その答えはノーです。その逆に、誰かに「それはウソだよ。デマを広げないでほしい。黙れ。」と言われても、その不安が『私にとっての事実』から消えない限りその主張を私は曲げないことでしょう。
 ですから、この記事を読んでいる皆さんは、これはウソだ、作り話だと判断されたならば、私の書いていることを鵜呑みにしないでなるだけ信じないで欲しい、とここでお願いしておきます。(そのことを前提にして、以下のようなことを書かせていただきます。)
 最近、世の中では、よくフェーズが変わったと言われています。しかし、『感染』という言葉のフェーズが全く変わっていません。「感染しないように」とか「感染したら終わり」とか「感染したら怖いし不安だ」というニュアンスが『感染』という言葉に潜んでいて、いろんな人の判断をあやまらせ、混乱を生んでいることは明らかです。これほどまでにテレビやラジオや新聞やネットなどで多用されているにもかかわらず、言葉の一人歩き、すなわち、人によって意味する内容が微妙に違ってくるということがあまりなくて、一定のニュアンスを保っている普通の(固有名詞でない)単語は珍しいと思いました。
 これは暴言に近いかもしれませんが、何とかして『感染』という言葉のニュアンスを少しずつずらしていくことはできないかと夢想しています。当たり前のことですが、ワクチンや特効薬が一般に普及すれば、それが一変することは明らかです。しかし、現実の問題として、それを待っていては、社会の経済や医療、そして、何よりも人間の心と体がもたないことは、誰の目にも明らかなことだと言えます。人々に焦(あせ)りの色が見えてきているのは、それが一番の原因だからだと思います。