雨ニモマケナイ方法?

 今回は、日常生活の重要課題を、恥も外聞もなく考えてみたいと思います。私は、10数年前から、稲を栽培してお米を作っているのですが、どうもその食べ方に疑問を持っていました。

 私は、特にお米が好きだというわけではありませんでした。白米あるいは玄米だけでは食べられないタイプの人間でした。かと言って、おかず中心の現代の食卓にも、満足がいっていません。東京で生まれ育った人間のくせに、味が濃い食べ物が苦手なのです。そういう食べ物は、炊いた白米と一緒に食べると、胃腸の消化に負担がかからないと思うのです。

 かつて、日本人の食卓は、炊いた白米が中心の食卓でした。おかずよりも何よりも、炊いた白米=ご飯が量的にも多かったわけです。その食事を摂ることそのものを、「ご飯を食べる」と表現するくらいでした。しかし、現代では、その『ご飯』よりも『おかず』を沢山食べるよう、一般的な指導がされています。『ご飯』を食べ過ぎると太る原因になる、と一般的に指摘されています。ご飯の食べ過ぎによるカロリーの摂り過ぎは、現代の私たちの健康的なライフスタイルを脅かす一因とさえなっています。

 ここ数年のことですが、私は、自身の日常の食生活を振り返ってみることにしました。ここのところの私は、自炊が続いています。ただし、毎日3食それを続けていると、仕事などの時間が十分に取れません。そんな時は、地元のスーパーで惣菜パンを買って済ましてしまうこともあります。けれども、そればかりだと、お金が続きません。それで、スーパーで惣菜を買うのですが、それさえお金がもったいないと思って、スーパーでおかずの材料を買うことになります。しかしながら、おかず中心の食事を毎日準備していると、仕事などの時間に影響が出てきます。結局、そんな堂々巡りとなってしまうわけです。

 そんな私の日常生活において、持続可能な妙案がないかと思っていました。和食の基本である一汁三菜を真似てみようかと思いました。あるいは、ずぼら飯にしようかと模索してみました。結局、お金や時間の手間がかからない方法を模索することとなりました。

 そこで、ふと、私は中学一年生の国語の時間に暗唱させられたことのある詩の一節を思い出しました。

 一日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲタベ

という、宮沢賢治さんの『雨ニモマケズ』の一節です。「そうだ。小さな茶碗に、一口ばかりのご飯を盛って、味噌の小さな塊をのせて、さらに、その時期にある野菜を刻んでのせればいいのだ。」と、私は思いつきました。

 野菜は、最低限、夏や秋ならばキュウリが手に入るし、春や冬ならばネギや大根が買えるので、問題ありません。味噌も、スーパーで買える安いもので問題なさそうです。そこで、実際にやってみると、ご飯さえ炊けていれば、食べたいと思ってからほんの2、3分で、食べる準備ができてしまうことがわかりました。

 これは、なかなか便利な方法です。その時間に家にさえいれば、朝に軽い食事ができたり、間食のおやつ替わりにちょっと食べてみたりするので、おにぎりを作るよりも楽です。手軽にお米を食べられる方法の一つとして、良いかもしれません。(以上、あくまでも私の個人的な意見です。ちゃんとご飯を食べたい人には、物足りないかもしれません。従って、このようなご飯の食べ方を私がお勧めしているわけではありません。)