寒い誕生日に思ったこと

 今日1月27日は、私の51歳の誕生日でした。と言っても、別に特別なことはありません。昨夜からものすごく寒くって、布団の中にくるまっていました。暖房器具を何も使わなくても、何枚も布団をかぶっているとそれだけでぽかぽかしてくるのが不思議でした。トレーナーの下に何枚も重ね着していましたが、要は体が冷えなければいいのです。一畳ほどの広さの電気カーペットがあっても、眠る時は使いません。ストーブが無いので、火災の心配はありません。湯たんぽや電気あんかが無いので、低温やけどの心配はありません。汗をかかない程度の暖かさが一番気持ちがよくて、布団をかぶったり、布団を剥(は)いだりして温度調節をしていました。
 そのうち、分厚いカーテンの隙間から陽が射してきたので、外を見てみたら雪が降っていました。天気雪になっていました。テレビで天気予報を見てみたら、ここ1週間近くは寒波が日本に居座るそうです。この時期に、こんな寒くて雪なんか降って、何日も積雪(積もって寒さのために溶けない雪)を見るのは久しぶりです。もうすぐ2月ですが、もしかしたら今年は知らないうちに春の暖かさになっているかもしれません。(テレビの気象予報では、4月まで平年よりも寒いそうです。けれども、もしかしたら今年は春が早く来るような予感もします。)
 そういうわけで、2月になったら苗用に(苗として売るために)レタスの種をまこうと思います。こんな雪が降って寒い日が続くと、いくらレタスが寒さに強いと言っても、まず、発芽が遅れてしまいます。それから、苗としての発育も遅れてしまいます。ですから、早めに作業を始めても無駄な作業になってしまいます。(実は、去年の今時分に私はそれで失敗しました。)そうならないために、あえてレタスなどの育苗作業を遅らせています。
 私の本業の話だけでは面白くないので、森進一さんの歌の『襟裳岬』の話をしましょう。岡本おさみさん作詞(作曲は吉田拓郎さん)のこの歌には、聴き手がどう解釈したらいいかという箇所が少なくとも二つあります。まず、「襟裳の春〜は〜、何も無い〜春です〜。」と歌っています。これはどういうことか、ということには諸説いろいろあると思います。
 私の解釈では、こうです。長野県長野市松代に実家のある私の母の話によると、1月と2月の長野県は(と言っても、昔の長野県北部ということだと思いますが)、寒さや雪のために何も農作物が作れません。そのために、凍み大根や凍み豆腐や干し柿や干し林檎などの保存食を昔は作っておいて食べていました。3月になって春になった頃には、それらも食べつくして、手元に何も食べる物が無い状態になるのです。温度計のマイナスの数字では北海道に長野県はかないませんが、長野県の寒さで起こりえたことと同じことが北海道でも起こりえたと思います。つまり、「襟裳岬あたりでは、春になると、何も食べる物が無かった。そういう春を迎えるのだ。」という意味だと、私は解釈しました。
 現在では、交通手段や流通手段が発達して、また、ビニールハウス栽培などでの生産手段(施設園芸)が発達して、長野県でもどんなに寒くなっても、農産物直売所やスーパーマーケットへ行けば、葉もの野菜などが買えるようになりました。でも、昔は冬の厳しい山村では、冬場は何も作れず、春先は食べる物が何も無かったようです。その言葉どおり『(食べ物が)何も無い春』だったのです。
 そしてまた、この『襟裳岬』には「寒い〜友だ〜ち〜が、訪ね〜て〜、来た〜よ〜。」という歌詞があります。『寒い友だち』とは一体何でしょうか。歌の歌詞を余りに真面目に受け取ると、何だかよくわからない、変なイメージで解釈してしまいます。ここは、「襟裳岬あたりの春先は、春と言ってもまだまだ寒く、ブルブル震えて寒がりながら友だちが我が家に訪ねてきた。」くらいのイメージでとらえたいところです。
 (もちろん、その『何も無い』春先を未来ととらえて、寒い冬に友だちが家を訪ねてきたととらえるほうが妥当かもしれません。上に述べた私の解釈は、その点が想像しすぎであり正確ではありません。あくまでも、下手な解釈の一例ととっていただきたいと思います。)
 なお、「北の街ではもう 悲しみを暖炉で燃やし始めてるらしい」などという歌詞も、何か意味ありげでまるでテクノポップの歌詞みたいな匂いがします。「悲しみって、暖炉で燃えるんだ。」と思うと、とてもシュールな感じがしました。寒さから人を救ってくれるのは暖炉の暖かさであり、悲しい出来事で寒さに凍えたようになってしまった人の心をも暖めてくれるのでしょう。そんなふうに私には思えました。