クロワッサンの話

 最近地元のスーパーなどへ行くと、賞味期限間近で値段を割引いているパンに、つい私は手を伸ばしてしまいます。お米の収穫時期が終わって、今が一番おいしい新米を買うことのできる時期であるせいでしょうか、パンの売れ行きがやや鈍っているようにも見受けられます。私などは、小中学生の頃の学校給食で、お米を食べたことがなく、麺類もしくはパンであったので、「日本人の主食はお米だ。」と人から言われても、余り信用していません。それよりも、外国の人たちが「日本人はお米を食べないと生きてゆけない。」と考えているんじゃないかな、と、それは日本人が今なお、ちょんまげを結っていると考えるのと同じで、日本人に対する意識が古いように思われます。とすると、TPPでお米の関税がゼロになっても、そんなに外国米は日本では売れないかもしれません。某牛丼チェーンで食べてみて、私はそれが国産のお米でないことが即わかりました。国産米だとお米がぐちゃぐちゃしてしまいますが、そのお米はさらさらして、口に入れると、口の中でパラパラ広がりました。牛丼やカレーやお茶漬けには最適ですが、おにぎりやにぎり寿司には不向きかもしれません。おそらく、その外国米も、日本ではパンと同じような運命にさらされることでしょう。
 それにしても、学校給食というのは、それを食べていた子供たちに意外と大きな、一生ものの影響を及ぼすもののようです。パン食だって、私は決して『おやつ』のようには食べてはいません。さらに、あの頃私が学校給食で口にしていた『いちごジャム』は、無着色で、やや透き通った黄銅色をしていました。見た目はすごく汚らしかったのですが、なめると確かに『いちごジャム』なのでした。よって、今日(こんにち)スーパーで商品として買っているパンに『いちごジャム』が入っていると、いとも鮮やかなジャムの色に見えます。あの頃の学校給食で味わった『いちごジャム』の色ではなくて、それはあたかも血のしたたるような真っ赤なジャムの色なのです。食品表示を見ても、『苺ジャム』と書かれているだけです。何でどうやったら、そんな血のしたたる真っ赤な色づけをできるのか(企業秘密かもしれませんが)知りたいものです。
 ところで、日本人がパンを食事に取り入れている今日(こんにち)、少しばかり気になることがあります。私たち日本人は、それを食べることに夢中になって、パンのことをあまり知らないで生きてきたのではないか、ということです。その一例として、今回私はクロワッサンについて話したいと思ったというわけです。スーパーのパン売り場で、工業的に生産されて袋に入っているクロワッサンを手にとって見ましょう。その袋に印刷されている食品表示を見てもらうとわかりますが、『菓子パン』と書かれています。そこで袋を破って、そのパン(クロワッサン)を食べてみます。ところが、その中身は空洞で、何も入っていません。なのに、そのクロワッサンは『菓子パン』なのです。間違いありません。どうしてなのでしょうか?
 私の考えた答えは、こうです。これは、明らかに、日本人の『菓子パン』に対する意識が、ドイツ人などの外国人と違うためです。日本人は、パンの中にジャムやペースト状の物が入っていないと、そのパンを『菓子パン』と認めないのです。たとえば、あんパンは、パンの中に『あんこ』が入っていないと、そのパンを『あんパン』と認めないのです。そのあんこをパン生地に練り込んで焼いただけでは、もしくは、パンの表面に液状のあんこを塗って焼いただけでは、それは『あんパン』とは言いません。日本人は、パンをかじったり、パンを両手で二つに割ったときに、パンの中からあんこやジャムやペースト状の物が出てこないと、それをあんパンなどの『菓子パン』だと思わないのです。
 ちなみに、なぜ「ドイツ人などの外国人」と私が書いたのかをこれから説明しましょう。最近NHK総合テレビの朝の連続テレビ小説で、初の外国人ヒロインが登場したことが話題になっています。しかし、私はずっと以前に、その朝の連続テレビ小説で、外国人のメイン・キャストを見たことがありました。『風見鶏』というのがその連続ドラマのタイトルでした。女優の新井春美さん扮するヒロインの、国際結婚したその夫がドイツ人で、パン職人という設定だったと思います。正確には、蟇目 良(ひきめ りょう)さんというハーフのタレントさんがその役に扮していました。私がそのドラマで今も覚えているのは、次のようなシーンです。そのドイツ人のパン職人が、神戸で初めてクロワッサンを焼きます。そして、それを試食するたびに、「バターが足りない。」とか「砂糖が足りない。」とか「塩が足りない。」とかつぶやいて、再三、そのパン生地から作り直すのです。
 そうやってパンに味付けをしたり、クロワッサン独自の食感が生み出されることから、それはもはや普通のパンや食パンではないことを、私は知りました。クロワッサンの食感に近い、デニッシュという種類のパンがありますが、それはもはや砂糖などではっきり甘く味付けされた『菓子パン』と言えましょう。クロワッサンは、デニッシュほど味が濃くなく、あっさりした味のパンですが、あの『風見鶏』のドイツのパン職人のように微妙な味覚を通してみれば、クロワッサンとしての微妙な味わいがあるのかもしれません。
 私たち日本人は、以上のようなことも知らずに、かつ考えずに、日々平然として、食パンや菓子パンをほおばったりしておりますが、それらのことを少しは勉強してみるのも良いかもしれません。