やっと今年を振り返る

 今年は、するべきことが多くて、なかなかそれを振り返る時間が無かったように思われます。つい先日まで、地元で借りている畑で、作業で必要な様々の備品(ハウスの屋根や地面に敷いたビニールシート、あるいは、農具や工具や機械など)の片づけと整理をやっていたのですが、悪天候や寒さのために、ひどい目に遭いました。
 作物のツルや枯れ枝、枯れ草を集めると、山のようになりました。地元の消防署に許可をいただいて、焚き火をしたのですが、例年になく短時間で燃え尽きました。おそらくそれらの乾燥した植物に、車の排気ガスによる塵灰(じんかい)が多く付着していたようなのです。ここ1、2年の間に、乗用車やトラックの往来が増えたので、それによる騒音や、空気の汚染はいたしかたなかったのかもしれません。先日、NHKテレビの大河ドラマ真田丸』が終わって、やっと、まわりが静かになったようです。私の作業している地元では、以前の平静を取り戻したように感じられました。
 しかし、私は、汚れた空気とその塵灰のために、二十歳の頃以来発症していなかったアレルギー性鼻炎になってしまいました。最初は、最近地元で流行り出したインフルエンザ・ウィルスやノロ・ウィルスによる風邪や胃腸障害を疑ったのですが、そのうちノドの扁桃腺をやられて、寒気がしました。次に、鼻の粘膜に異常がみられて、せきやくしゃみが止まりにくくなりました。
 畑の後片付けの作業がまだ残っていたので、それは大変でした。年末近くになって、ある程度は作業を終わらせて、東京の自宅に戻らなくてはならないと思いました。幸い、12月最後の週の2、3日は、日中暖かい日が続いたので、頑張ってある程度の作業は終わらせました。やっと、12月30日に新幹線で、東京の実家へ帰ることができました。
 その新幹線に乗っていて気がついたことは、外国人観光客が増えたということでした。軽井沢駅あたりから、かなり多くの外国人が、車内で見かけられました。見かけや言葉などから、中国系の人たちや欧米系の人たちがおられました。私としては、そうした見知らぬ人たちを前にして、余り緊張しないことにしました。なるべく平静を装って、さりげなく彼らの様子をうかがっていました。直接言葉が通じなくても、相手に失礼な態度を取らなければ、トラブルなどは起こらないことが確かめられました。相手も、私自身と同じ人間なのだと思えば、見知らぬ日本人同士の場合と同じ感覚で扱うことができることを知りました。
 私の実家へは、鶯谷駅から都営バスによって帰ることができます。バスの車内から、外の街の風景を観ていました。相変わらず、東京の下町はにぎやかでゴミゴミしているように見えましたが、以前よりも少しクリーンに(つまり、こ綺麗に)なったような感じがしました。局所的に再開発は進められてはいるものの、現在は、少し落ち着いているのかもしれません。バスの窓から見える、日没後の富士山のシルエットも綺麗で、私の生まれ育った故郷としては申し分ないと言えました。(ついでに申しますと、私の実家の2階の窓からは、遠くの東京スカイツリーもよく見えます。)
 私自身の感想で申しわけありませんが、今年は、その時その時でするべきことが盛り沢山にあって、余り心が休まらない一年であったような気がします。小さなカレンダーに多くのスケジュールが月ごとに書き込まれてあったのを見ても、その日程を忘れまいとした努力と苦労がうかがわれました。そうしたスケジュールの煩雑な記述を見るたびに、今年は全体的に長かったなと思うのです。目標は、それほど達成されなかったとは思いますが、一人で多くをこなさなければならなかったことを考えれば、それで目いっぱいだったような気がします。
 また、さらに、いろんなことを知ることになった一年だったような気がします。これからは、私自身の年齢の限界もよく考えて、せいぜい養生して、無理を続けないことも、もっと考えておかなければいけないようです。さしずめ、今は、鼻かぜはこじらせないで、直しておくことです。