老いて衰えるのは年相応でいい

 今年の長野県上田市は、雪が降るたびに積雪があって、例年より寒くて、あたりの白い雪が消えずに残ってばかりいます。車がスリップしないように気をつけて走っています。露地の田畑がいつまでも積雪で白くなっているので、それで空気が一層冷えて困ります。無理して野外で作業などしたならば、体調が崩れてしまうのは明らかでした。このような、いつにない寒さのために、まわりの人たちの作業も遅れています。その様子を見てそれに合わせながら、私も無理のない生活をしていました。無理して頑張っても何の実りもないとすれば、ここで風邪やインフルエンザやピロリ菌やノロウイルスにやられないで生きのびるのが現時点で最善と言えましょう。私も、そう若くはないので、気候が暖かくなるまでは、焦らずに、昨年の収支の計算と反省をして、今年の栽培計画を練り、確定申告関連の書類を準備することに今、時間を費やしています。
 最近、性教育がどうのこうのという情報をあるテレビ番組でちょっと耳にしました。卵子の老化がどうのこうのという話がそのきっかけだったと思います。私が若い頃には、そういう卵子が老化するなどという話は一度も聞いたことが無かったと思います。つまり、それは医学の研究が進んで、最近わかったこと、すなわち、最新の知識であり、最新情報であるように、私には思えました。現在五十代の私が、十代もしくは二十代の頃には知りえなかった知識もしくは情報であり、たとえ学校の保健体育でも性教育でも知りえなかった未知のなるものの一つであったと思います。
 こうしたことを知って、私は「さもありなん。」と思いました。過去にも、女性の更年期障害とか閉経とか乳がんとか卵巣がんとかの情報や知識をテレビや雑誌などのマスメディアで知ったことがあります。しかしながら、それらの情報を知って、「女性って大変だ、それと比べて男性で良かった。」などとは思いませんでした。なぜならば、いろいろと考えてみれば、そう思う根拠がないからです。過去に漫画家のはらたいらさんだって、更年期障害に苦しまれました。つまり、男性に関する医学の研究が遅れていて、未だに明らかにされていないだけなのではないか、と私には思えるのです。それに、男性にも前立腺がんという『がん』があります。
 本当は、人間なんて、男であろうと女であろうと、ヒトとしてできることの限界があって、それ以上のことをやったら、その体と心に無理がたたります。その意味で、私は、昨今の女性のように、際限なくあれもこれも望むのは「さもありなん。」という結果になる、と思ったのです。
 よく言われることですが、男性は一生精子を作り続けることができるといわれていますが、私はそれさえ疑っています。それを作れなくなる前に、身体機能全体がダメになってしまうだけなのではないかと見れなくもありません。私も年を取って実際に体験してわかったのですが、男性としての性機能が若い頃と比べると、かなり衰えています。でも、老いて衰えるのが普通だと思って、それゆえに安心しています。
 例えば、亡くなった私の父は六十代の半ばで髪の毛が黒々としていました。しかも、神経がいつもピリピリしていて、誰がどう見ても六十代の半ばには見えませんでした。日本の高度成長期に無茶して働いてきて、これから年金生活で楽が出来るようになった、そんな矢先に、私の父は前立腺がんで入院して手術をしました。その後、急激に体調が衰えて、胆のうがんが見つかった時にはもう手遅れでした。その後まもなく亡くなってしまいました。その余りの早さに、私もびっくりしたのですが、人の命と言うのは見かけ以上にはかないものだと思いました。それを地球より重いものとするには、余りに信じ難いことでした。
 ですから、私は他人から「年より若く見えるね。」とちょっと言われても、自慢に思わないようにしています。どうせ、私の父から引き継いだ形質の遺伝の一つに違いないのです。老いや衰えは、年相応でいいのです。それよりも、若い頃の私が父の神経質な性格を引き継いでしまっていたことを、これまで何十年とかけて変えようと努力してきたことが私自身には大切なのです。私の父のように、精神的なイライラで他人の話や忠告を聞かず、不養生を重ねてしまったその失敗を、私は繰り返してはいけないと思うのです。