異国の唄 天使のお告げ

 演歌嫌いを自称していた私は、実は洋楽が大好きで、その歌詞の意味がわからなくても、わからないままで音楽を聴いてしまうことがしばしばあります。つい先日も、メリッサちゃん(いきなり『ちゃん』呼ばわりで申し訳ありませんが)の"Um Anjo Vieo Me Falar"を動画サイトで視聴して、とても気に入りました。そこで、その本家本元のRougeという女性グループの歌唱も視聴してみました。これは、まさにラテン・ミュージックであり、洋楽の唄いでした。それで比較してわかったことは、メリッサちゃんの唄い方には日本の演歌が多少入っているということでした。
 私の演歌嫌いにはそれなりの理由がありました。たとえば、大川栄策さんの『さざんかの宿』の歌詞の「愛しても愛しても、あああ〜人の妻」という一節がどうしても『道義』的にひっかかります。子供たちには真似してもらいたくない、日本の大人の世界が表現されています。私は、大川栄策さんやその唄に個人的な恨みがあるわけではありません。ただ道義的に大人として、日本の演歌が表現する世界が許せないだけです。(同様に、勤勉で真面目な人の多いイスラム教国でも、レディー・ガガ以上にこのことは受け入れてもらえないかもしれません。)
 でも、ひょっとして心ある外国人から見たら、日本の演歌はこんなことさえ唄にしてしまう、その独創性と表現力を高く評価されていることでしょう。ある意味、日本の演歌は、それまで日本にあった楽曲(雅楽長唄謡曲浪曲、民謡など)を全て飲み込んで、しかも洋楽とも共存して、完成されてきた日本の大衆文化の一つです。私一人の嗜好なんぞに、かまってはいられないのです。
 ですから、さすがの演歌嫌いの私も、動画サイトでメリッサちゃんを見てからは、自らの信念の方向転換をはかることとなりました。メリッサちゃんの唄う動画を見て、泣けてくる日本人がいるということを、私は知りました。きっとそれも、日本の演歌のもたらす文化的効果の一つなのだな、と私は理解しました。
 それはさておき、私はブラジルの公用語であるポルトガル語を話す聞くはもとより読み書きをしたことも、これまで一度もありませんでした。私にとっては未知の言語の曲として、その"Um Anjo Vieo Me Falar"という曲を聴いていました。ちょうどそれは、日本語を知らない外国人が、日本語で唄われる『ハナミズキ』を聴くのと似たようなものです。私たちはいずれも、その歌手の力量に頼って、異国の唄の持っている『何か良いもの』に気づかされていました。
 歌手が、言葉をはっきり発音しなかったり早口だったりして、歌詞が聞き取れないと、私より年配の人たちは「こんな唄はわからない。」とあきらめてしまうことが多いようです。ところが一方、私以降の若い世代は、そんなふうに歌詞が聞き取れなくても、そういうふうな音楽をそれなりの音楽として聴いてしまいます。歌詞の内容の理解とは無関係に、音楽を聴く耳を持っていると言えます。それが良いか悪いかは別として、歌詞がわからなくても、曲のメロディが良いとかアレンジが良いとか振り付けが良いとかで視聴しているわけです。ひょっとすると、自国語の唄でもそうやって鑑賞して評価していることだってありえそうです。それは、私たちにとって、日常茶飯事になってしまったことなのかもしれません。
 ポルトガル語のわからない私は、ネット上の機械翻訳(無料)を利用して、唄のタイトルや歌詞の意味を知ることを思いつきました。この"Um Anjo Vieo Me Falar"という唄のタイトルは、直訳すると『天使が私と話をしにやって来た』となります。いかにも、キリスト教カトリック教国の文化に影響されたタイトルの意味が感じ取れました。なぜならば、カトリック教は、天使や悪魔をその教えを説くのに利用しているからです。
 いわゆる福音書にも、天使や悪魔が頻繁に登場しています。もちろん、私はクリスチャンではありません。けれども、欧米文学の理解のために聖書を少しだけ勉強したことがありました。その頃に習得した知識が今回の課題に役立ちそうな気がしました。また、中世ヨーロッパの絵画は宗教画が多く、天使や悪魔が描かれることが多かったようです。中でも有名なものの一つは、イエス・キリストの母マリアのところに天使がやって来て、イエスの受胎を告知するのを描いた絵です。こうしたイタリアの宗教画があることも、今回の課題に対して大いに参考になりました。
 以上のことから、『天使のお告げ』を聞いた『私』の(神に感謝したくなるような)幸せな感情が、この唄のテーマであると私は思いました。それを手がかりに、ポルトガル語の歌詞の内容を一行ずつネットの機械翻訳(無料)にかけてみると、変てこな日本文になって戻ってきました。(ちなみに英語に機械翻訳すると、文法が似ている分だけ少しだけまともな英文が返ってきました。機械翻訳を利用すると、辞書で単語の意味を調べるよりも能率が上がりました。このように、機械翻訳は21世紀的な方法としては一発正解は期待できないものの、文章を分析するのに手軽で有効な一つの方法であることは今でも変わりないようです。)その機械翻訳された文を参考にして、私が心を込めて日本語カバー風に歌詞をまとめてみました。もともと私は、フランス語を少しばかり勉強したことがあるので、その言葉や文法の知識を同じラテン語系列のポルトガル語にあてはめて考えることができました。
 それでは、その成果を今回はちょっとだけご覧に入れましょう。
 『天使のお告げ(Um anjo veio me falar)』
わかりづらい心の奥を 理解しようと努めてた
愛に導かれ信じながら 
夢みてた(夢みてた) 生きていた
でも、ありがとう…
と、こんな感じです。近日中に、歌詞全体の訳(と言うか、日本語カバー)ができあがる予定です。特に歌詞の後半は、ジャニーズ系のアイドルが唄いそうな歌詞になってしまいました。そのような歌詞で、カトリック教社会やその精神世界を表現するような内容になっています。
 というのは、この唄のネット上の動画には男女のエロチックな画像が多くて、この唄の本質から離れすぎてはいないものの、視聴者へのイメージの伝わり方に偏りができてしまうような気がしたからです。その原因は、カトリックの宗教的な文化の背景が、視聴者の側に欠落している場合があるためと考えられます。
 この例に限らず、宗教的・社会的・文化的なものが唄の背景にあることは重要です。ネット上のコメントを見ると、この唄の歌詞が内容的に難解であるとする意見を少なからず見かけました。しかし、それはこの唄を単なる深い関係の恋人の物語と見なしたために、恋人=天使というイメージに縛られてしまった結果にあるようです。"Um anjo"は、具体的な生身の恋人というよりも、天使というもの、つまり、宗教的な見方を導入して、幸せの前兆を告知してくれる精霊の一種ととらえるべきです。
 それでは次回をお楽しみに!!