オバサンについて考える

 いきなり余談ですが、今年は大きな震災があって、東京の自宅の周辺の家も多少の被害があったと、母から話を聞きました。私が実家へ戻ってきた時には、私の家を含めてほとんどの家で修復されていましたが、かなり新築の家でも窓ガラスが割れたり、ひびが入ったそうです。私が東京に住んでいた時に経験した地震では、そういう多くの家の窓ガラスが壊れるようなことは一度もありませんでした。それだけ今回の地震は未曾有のものだったと気づかされました。
 また、近所のお風呂屋さん3軒のうち、1軒だけが現在営業を続けています。ほかの2軒は、今回の大地震で設備が壊れてしまい、1軒は廃業してお風呂屋さんの建物自体がなくなってしまい、新築の住居に既に変わっていました。もう1軒は、建物は残っているものの、依然として設備の修復や操業再開のメドが立たないそうです。
 私は震災後に、自宅の屋根瓦が落ちたり壊れたと、東京の母から電話で連絡を受けました。家も古いのでひどい損傷だったと聞いていました。しかし、今回自宅に戻ってみると、家の一部が陥没したりしたものの、外見的には問題なく修復されていたので安心しました。今回の教訓を踏まえて、使わなくなった小さな作業場の一角を一時的な避難所に作り変えてあるのには感心しました。私は今回自宅の様子を実際に目で見て、これほど安心したことはありませんでした。やはり帰るところがあるということが、つまり、自宅があるということがこんなにも幸せなこととは、今まで思ったことがありませんでした。
 このように、いろいろと書きたいことがあるのですが、そろそろテーマを絞って本題に移りたいと思います。昨日の夜、NHKテレビを見ていたら、紅白歌合戦で過去に登場した歌手の映像を見せる番組をやっていました。たまたま私がそれを見たらば、森高千里さんの『私がオバさんになっても』が歌われていました。そこで、今回私はオバサンをどう見ているか、考えてみることにしました。
 その前に少しまた、話を脱線させます。この番組では、藤井フミヤさんの『True Love』が歌われている映像を見ることができました。1993年と言うと、私は翻訳の会社に勤めていた時期で、この歌が主題歌であったフジテレビの『あすなろ白書』というドラマを毎週見ていました。会社の営業の人たちから、最近面白いテレビドラマはないかとたずねられて、『あすなろ白書』が良いと思いますと答えた覚えがあります。
 「見どころは?」と聞かれて、たとえばこんなことを答えた記憶があります。石田ひかりさん演じるヒロインは、素足や素肌をなかなか見せない。冬だからということもあって、必ずカラータイツを履いている。しかし、これはドラマ的に何か意味があるに違いない、と私は述べました。
 また、実は私はこのドラマの中でメガネをかけていた若いキムタクさんのファンでした。筒井道隆さん扮するヒロインの彼氏(しかも、親友)から、ヒロインの女性を奪ってしまう泥棒猫のような役でしたが、今風に言えばチャラ男みたいな感じの役でした。私は、実生活ではとてもそんなふうにはなれませんでしたが、メガネをかけた若いキムタクさんに憧れました。主役の筒井道隆さんよりも、キムタクさんに憧れて、何でこのドラマで主役じゃないんだとさえ思いました。
 このような見どころもあった『あすなろ白書』のドラマ主題歌『True Love』は、ドラマの内容にマッチした名曲だったと思います。機会があったら、カラオケでも歌ってみたい曲の一つです。
 本題に戻りましょう。私が持つオバサンのイメージは、堀田かつひこ氏の『オバタリアン』という漫画のオバサンのイメージです。あつかましい中年女性のイメージです。でも、嫌ってはいません。なぜなら、私も50才を越えて、私自身の体調や気持ちが若い頃とは違うことに日々気づいているからです。こんなことを言っては、気持ち悪いかもしれませんが、オバサンだったらこう思うに違いない、と何となくわかるのです。ひょっとすると、同情しているのかもしれません。(同情するなら金をくれ、とオバサンに言われるかもしれませんが…。)
 以前「女性は子供を産む機械だ。」とか言って、女性から非難された男性がいました。この言葉は、女性全体を機械という物に例えて蔑(さげす)むと同時に、出産の役割をになえなくなったオバサン以上の年齢の女性を『女性』としては用済みであると決めつけていました。オバサンからすれば、「私たちは、女性としては終わってしまっているのか」とか「私らは女性ではないのか」と反論したいところです。私は、敢えてその男性の側に立って言えば、結婚制度は人類が子孫を絶やさないための社会制度であり、少子化対策としてクールに考えてもらいたい。と彼は主張したかったのだと思えるのです。そのために、こういう言い回しも正論として認めてほしかったのではないかと考えられます。
 私はもちろんこの表現の仕方には反対です。社会の歯車として女性を取り込もうとすること自体にも違和感があります。
 確かに森高千里さんの歌にもあるように、普通の男性であれば、オバサンよりも若い女性やある程度適齢の女性を好きになるほうが自然です。私も男性なので、その考えは否定できません。しかし、若い女性じゃないと女性であるとは言えないとするのは、狭い考え方であり、偏った見方であると思います。人にもよりますが、おしとやかでないと女性であるとは言えないとするのも、近視眼的な見方であると思います。だいぶ男性の側を批判してしまいましたが、特に私がフェミニストであるというわけではありません。
 日本テレビ系列で『ミヤネ屋』という番組を見たことがありました。○○のランキングということで、大阪のオバちゃんに聞くコーナーを私は見ました。結婚されてても、現在されてなくても、大阪のオバちゃんは、言うことがすごいなあ、とこのコーナーを見るたびに私は思いました。こうしたオバちゃんには、どうか無理をし過ぎないで、長生きして欲しいなあと、私は願いました。