架空の人物たち (その4) Gメン’75

 私が10代中頃から10代後半あたりに、よくテレビで見ていた番組の一つに『Gメン’75』がありました。確か土曜日の夜九時にTBSテレビでやっていた番組だったと思います。一話完結のストーリーが通常多かったため、毎週見ていたわけではありませんが、印象が強く残った話が多かったと思います。たとえば、香港ロケで香港カンフーのムキムキマンが登場したり、足を負傷して松葉杖を突いて犯人を追いつめて行くGメンが主役だったり、女Gメンが銀行強盗に立ち向かったりと、奇想天外なストーリーに私はたびたび驚かされていました。
 現在私が知っているGメンには、野菜Gメンと呼ばれる人たちが実際にいらっしゃいます。保健所から農産物直売所に派遣されて、普通のお客さんのふりをして野菜や果物を選んで買って行くそうです。そして、保健所の検査機関で、農薬や有害物などの成分がその農産物に含まれていないかを調べているそうです。その結果、違反が見つかると、地方自治体やJAやその直売所に通報されて、その生産者にも出荷停止などの処分が与えられるそうです。
 このように、実際のGメンというものはかなり厳しい人たちですが、私が10代の頃にテレビドラマで見たGメン’75の面々の人たちも同様だったと思います。法では裁ききれない凶悪犯や凶悪犯罪に立ち向かう熱い心と強い意志を持つ刑事たちのドラマがこの『Gメン’75』でした。
 そのストーリーの多くは、既に述べたような娯楽性を多少含んでいました。がしかし、この番組では、時々社会問題を題材にしたドキュメンタリーっぽい映像や内容が放送されることがありました。記憶に残っている人も少なくないかもしれませんが、三話連続で沖縄ロケを行ったものがありました。(この59話から61話までは、Gメン’75の沖縄シリーズ三部作とも呼ばれています。)私は、1976年7月にその三話とも実際にオン・エアーで見ました。
 その内容は驚くべきものでした。1972年の沖縄返還前に米軍兵士による女子高生暴行事件があって、それから一連の事件や悲劇にGメンが直面します。『やまとんちゅう』とか『アメ公』とかの言葉を吐く沖縄の人たちのことを、最初にドラマを見た時は私も理解できませんでした。しかし、沖縄の人たちの経験した、薩摩藩による『侵略』やアメリカ軍の沖縄上陸による『戦争』と『占領』の結果である米軍基地問題、これらのマイナス面が、これでもかとドラマで描かれていて、今まで何も知らなかった10代の私は本当に打ちのめされました。
 このドラマの描こうとした本当のテーマは、戦争で実際に侵略・占領された人たちがどんなにつらい思いをして、未来にその恨みと怨念を引きずってしまうかということでした。私たちが『平和』と言っていることが、こうした沖縄の人々の犠牲や悲しみの歴史に支えられていることを私たち日本人の多くは知らないか、もしくは知っていても忘れがちです。
 沖縄は青い海や空に囲まれた美しい観光地です。私たちは、豊かな自然に囲まれてそこに住む人々がこのような過去を経験しているとは思えない、とつい考えてしまいます。しかし、沖縄の人たちはこうした苦難を現に経験しています。その歴史を知らずして、「やまとんちゅうに、俺たちの気持ちがわかってたまるか!」と沖縄の人に言われても私たちは何も文句は言えません。
 私がこの一連のドラマで一番びっくりしたのは、米軍基地の鉄条網の向こうで見張りをしていた兵士が、基地の外にわざとガムやタバコを投げて、それを拾おうとした沖縄の人びとを銃で撃ち殺してしまうというエピソードでした。兵士にとっては当たり前のことかもしれませんが、基地に近づく者に容赦なく銃口を向けるというだけでも、恐ろしいことだと思いました。
 当然のことですが、このドラマはフィクションです。このドラマに登場する沖縄の人たちやGメンやアメリカ兵は本物ではなく、すべて役者さんの演じる架空の人たちです。従って、このドラマを見て、沖縄の米軍基地を失くしてしまえ、と主張することは妥当ではありません。ハードボイルドなアクションドラマであり、内容に多少の誇張があったかもしれません。しかし、このドラマでは現実の沖縄の人たちの気持ちを細かく描いているように思えます。その点が、このテレビドラマを観て一番勉強になるところです。
 火の無い所に煙は立たないと申します。1995年9月に実際に起きた米兵による少女暴行事件は、その事件のみが問題なのではないと思います。この事件だけが沖縄の人々に悲しみを与えたと見なすのは、実は正しくありません。この事件は、今まで泣き寝入りばかりだった沖縄の人々が一致団結して米軍基地にノーをつきつけたことにおいて、忘れるべからざる事件であったと言えます。つまり、この事件のように表立って報道されなかった(私たちに知られなかった)米兵による事件が、それまで沖縄では日常茶飯事であったわけです。沖縄の人にとっては、どうすることもできず、口を閉ざすしかなかったと言えます。(沖縄へ行ったことがないので、私も詳しいことは知りません。が、今まで公(おおやけ)にできず、本当の気持ちを我慢して、黙っているしかなかったという人の気持ちはわかります。)