私のプロフィール お米が嫌いだった

 以前少しこのブログで書いたとおり、東京で生まれ育った私は、子供の頃、ご飯を食べるのがあまり好きではありませんでした。だけど、好き嫌いで食べないことはいけないことと家で教えられていたために、毎食いやいや食べていました。
 当時の私の家は家族が多く、かつ、今のようにお米の販売と価格の自由化がされていませんでしたから、近所のお米屋さんから一番安くて当然おいしくないお米を買っていました。しかもそのお米屋さんや途中の卸し業者で日本各地のお米をブレンドしていて、産地さえわからない得体の知れない安いお米でした。そういうお米でしたから、新米の可能性は全くなく、古米か古古米でした。ある時、私の父がご飯を一口食べて「これ、新米かよ。」と文句を言ったことがありました。私は、このことを今でも憶えています。東京で一生涯、溶接屋さんだった父は、食べたご飯がまずいと、そのたびに「お米の値段は高いなあ。もっと安くならないものかなあ。」と言っていました。頭が単純な私の父は、品質の割りにはお米の値段が高いと思い、それを食べさせられてきたことに対して、日本の農家に怒りと恨みを抱きながら、この世を去りました。この怒りと恨みは、日本の農家さんにとっては言われなきことでしょうが、そういう父のような人間もいたことを、ここで私はどうしても公表したいのです。私の父は、長野県の親戚の人たちと仲が悪くて、いつも私はそのことでつらい思いをしてきました。それは、彼らがお米を自給自足できる兼業農家であったことが大きな原因でした。私の父は、かなりのお金を払ってお米を買い、大家族を食わせていかねばならなかったために、かなり無理して働きました。その結果、まだ60代のなかばで年金もほとんどもらわないうちに亡くなりました。まさに、世の中で金の恨みと食の恨みほど深いものはなかったと言えます。
 また、当時私の家は、祖父祖母と2人も老人がいたために、また祖父祖母が中心の家庭であったために、ご飯は非常に軟らかく炊かれていました。そのご飯は、極端に言えば団子かおかゆみたいで、使っている箸にまとわりついて、べとべとしていました。それは、団子を食べた後の串にまとわりついているものに似ていました。そして、それは胃におさまっても、胃の壁に貼り付くようで、小さな茶碗一杯食べただけで、胃がもたれます。腹いっぱいという感じではなく、胃が引きつった感じで2杯目が食べられなくなりました。
 ですから、当時の私は学校給食がとても楽しみでした。というのは、当時の学校給食のメニューにはご飯が無かったからです。当時のお米は、パンやうどんと比べると価格が高くて、多数の児童や生徒に食べさせる学校給食には向いていませんでした。つまり、私は学校給食でご飯を食べたことは一度もありませんでした。でも、おかずも含めて、その給食で出されたものを一度も食べ残したことはありません。はしかなどの病気で学校を何日か休むと、同級生の友達が給食で出たパンやチーズなどを家に届けてくれることがありました。そうした給食の残りでも、私は喜んで食べたものでした。
 私がご飯が嫌だったもうひとつの原因は、その味でした。子供の頃に私が食べていたご飯には、味がありませんでした。私は、薄味の食べ物を嫌ったりする人間ではありません。しかし、あの頃のご飯にはまったくご飯の味がありませんでした。ご飯をよく噛めば、ご飯の味がわかる、とよく言われます。当時私も、家でそう言われました。ところが、口の中にそれを含むと、のり状のそれはとろけて、口の中がべとついて、何の味もしないものを飲み込むしかなかったようです。すなわち、正直言って、子供の頃の私はご飯の味を知りませんでした。日本の主食だからという理由だけで、機械的に食べていました。
 その状態が変わったのは、日本でお米の販売とその価格が自由化されてからです。私の家でも変化がありました。家族の数が減り、おいしいお米屋さんを見つけて、そこから新米に近いお米を買えるようになりました。そのお米屋さんは、お米を作っている茨城県の親戚から仕入れていて、おにぎり屋さんもやっていました。冷めてもおいしい、おにぎりに適したお米でした。そのお米を炊いたご飯を食べるようになって、私のご飯へのマイナスイメージはなくなりました。
 お米の販売とその価格の自由化は、稲作をしてもそれで生活していけなくなったと日本の兼業農家さんの大部分は嘆いたことでしょう。しかし、お米の消費者にとっては、価格が安くても良質のお米が食べられるようになりました。そもそも、日本人の大部分が、ご飯を食べなくなったのは、何が原因だったのでしょうか。もともとは日本人の主食で、昔の人はたくさんご飯を食べていたのに、何が原因でそんなにご飯を食べなくなったのでしょうか。その答えは、一般的に語られているように、いろいろありますが、ご飯そのものがおいしくなくて、私のようにお米が嫌いになった人も多かったのではないか、と想像できます。
 ところで、私が今、住んでいる地元では、我先にお米を収穫して新米を食べている人が多いです。そのことが、都会生まれで都会育ちの私には、ある意味で贅沢に思えるのです。それが悪いとは言いません。が、私は残っている古米をつい食べてしまいます。私が都会生まれのせいでしょうか。それとも、生前の父のことが思い出されて仕方がないからでしょうか。どちらのせいあっても、私は収穫したばかりの、新米に簡単に手をつけられません。でも、そんな私の気持ちとは裏腹に、収穫したお米はなるべく早めに、つまり、鮮度が落ちないうちに食べるべきです。いくらお米が貯蔵できるとは言っても、食べ物(特に、生(なま)ものに近い物)は鮮度がなるべくあるうちに消費するべきです。