映像の意味するもの その3

 『世にも怪奇な物語』の『トビー・ダミット』で、誰もがアレッと思うシーンがあります。それは少女の姿をした悪魔の現れるシーンではありません。それはほんの一瞬の、1カットなのですが、この映画を見たほとんどの人の心に残ってしまう映像です。
 家政婦の姿をした女性の動きが何だか変なのです。主人公のトビー・ダミットが、片付け中(?)のスタジオの中で目にとめた彼女に、「俺と結婚しないか?」と冗談っぽく言うと、彼女はそれに答えるように無言でポーズをとります。パントマイムかバレエかわかりませんが、表情が変わらないその女性には、生気が感じられません。まるでそれはマネキン人形のように見えてしまいます。
 前回のブログ記事『映像の意味するもの その2』で説明したように、これが主人公の視点を借りた映像だとするならば、一体これはどういうことなのでしょうか。主人公の目には、生身の女性がマネキン人形に見えたのでしょうか。それとも、彼女は本当にマネキン人形だったのでしょうか。
 その正解は、私にもわかりません。いろいろ考えてみるうちに、これは『オー!マイキー』と似ているのではないか、と気づきました。『オー!マイキー』では、これとは反対にマネキン人形が人間を表現しています。それがブラック・ユーモアになっているのですが、ちょっと不気味な感じが互いに似かよっています。私たち映像を見る側にとって、それが生身の人間なのか、それともマネキン人形なのか、その区別がつかないところに不気味さがあります。でも、たとえマネキン人形であっても、子供のマイキーをかわいいなあ、と思ってしまうのは私だけではないはずです。
 次に私の心に浮かんだのは、『フェリーニカサノバ』と呼ばれている映画です。(不勉強で申し訳ありませんが、私は、フェリーニ監督の映画はこの『トビー・ダミット』と『カサノバ』以外に観たことがありません。)主人公カサノバが『理想の女性』を求めて、女性遍歴を繰り返すという映画です。その映像はエッチと言うよりも、アクロバットな動きで表現されていて、小学生などの子供が見たらきっとわけがわからない、理解できない映像に思えるかもしれません。この映画について、これから少し考えてみることにしましょう。
 屋外ロケが一切無く、全て巨大スタジオの中で撮影されたと言われるこの映画の意図とは、一体なんだったのでしょうか。おそらく、その答えは、この映画のトリとして登場するココロを持たない機械人形に代表される『作り物』すなわち人工物にありました。主人公カサノバは晩年『回想録』を書いています。その晩年の主人公の内面(心)の産物を全て人工物(いわゆる作り物)で表現しています。この映画は、衣装部門の映画賞をとっていますが、その奇抜な美しさは衣装だけに留まりません。その映像の奇抜さとおかしさは、度を越して不快感さえ与えるものでした。主人公カサノバの見たもの感じたもの、それら全てを映画で見せるためにとられた手法なのです。
 結局、主人公カサノバの女性に対する(究極とも言える)理想は、ココロや感情をあらわにしたり、年老いてしまう生身の人間の女性には見い出せませんでした。『理想の女性』を探し求めながらも、残念(?)なことに、機械人形(作り物の女性)しか主人公カサノバの心身を本当に満たしてはくれませんでした。それゆえ、ラストシーンで彼は、己の人生を孤独で哀れであったと振り返ります。
 この主人公の出会った機械人形は、SF映画に登場するようなアンドロイドとは違います。むしろ、日本のお茶くみ人形みたいな『からくり人形』に似ています。ゼンマイ仕掛けで、木や金属の歯車でカタカタ動く感じで、顔がセラミック製の貴婦人の姿をした自動人形でした。西洋でも時計台などで決まった時間になるとパフォーマンスを披露する、機械じかけのからくりがあったりします。まさに彼女は、その機械じかけのからくりと同じような機敏でシャープな動きを見せてくれます。その『作り物』の感じが、主人公カサノバの興味と感情移入を生じさせたと言えます。
 現代の日本でも、ロボット犬がペットの代わりに重宝されたことがありました。何だかそれに似ているような気がします。ところで、実際のところロボット犬はロボットなのでしょうか。それとも、犬なのでしょうか。その区別を消費者につきにくくしたところに、かつてブームにまでなったその秘密が隠されているような気がします。冷静に考えれば、それはココロを持たない機械(無生物)であり不気味なはずなのですが、それを扱う人間が興味を持ち感情移入した結果、当時みんなが欲しがる商品の一つになってしまいました。
 このように、『オー!マイキー』にしても、『フェリーニカサノバ』の機械人形にしても、さてはロボット犬にしても、その受け手の人間によって生み出された興味と感情移入により、気味の悪さや不快感を上回る愛着というものが、本来ココロを持っていない人工物(無生物)に生じてしまいます。『トビー・ダミット』でマネキン人形に見えた女性に向かって主人公がプロポーズの言葉を発したのも、そのせいではないかと推測できます。彼女がマネキン人形であるかないかに関係なく、主人公トビー・ダミットはこのようなプロポーズの言葉を発したに違いありません。だから例えば、彼が声をかけた相手が、手の届かない離れた場所にいるマネキン人形みたいな存在に見えた、と映像で表現された通りに、素直に私たちは理解していいのかもしれません。