怖い話 その5

 前回の怖い話で予告したとおり、今回も『世にも怪奇な物語』という映画について話したいと思うのですが、その前に、私がエドガー・アラン・ポーに関してどの程度の知見があるかを(大したことはないのですが)明らかにしておきたいと思います。言うまでもなく、私はエドガー・アラン・ポーの専門家(もしくは研究者)ではありません。また、中学高校で彼の小説や詩に感動したり熱中したわけでも、大学で彼に関して猛勉強したわけでもありません。
 まず、私が大学時代に英文学科で勉強していた頃の話を少ししたいと思います。エドガー・アラン・ポーの小説のことを話すくらいだからさぞかし英米文学に詳しくて勉強もできたと思われがちでしょうが、事実は違います。意外にも、私は英米文学が苦手でした。事実、米文学史という授業を私はとっていましたが、その5段階成績評価はD(中の下)でした。アメリカ文学というと、当時の私はマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』とマーク・トウェインの『トムソーヤの冒険』しかその内容を知りませんでした。しかも、それらは映画で見た程度でしたから、アメリカ文学にほとんど興味がなかったと言ってもよかったくらいです。
 それでは、なぜエドガー・アラン・ポーを知っていたかを申しますと、いくつかの偶然が思い出されます。まず、例の米文学史の授業を受けていたある日のことです。この授業の担当の黒川教授(なぜか教授の名前は憶えています。)は、大きな黒板の左上隅からひときわ大きな字で"Edgar Allan Poe"と白墨で書きました。その瞬間に、私は「そうだ!アメリカ文学には、ポーがいるじゃないか!今まで何で思いつかなかったのかな。」と思いました。その後でどんな話をこの授業で聞いたのかは、私の記憶に全くありません。ただ黒板のでかい文字だけが私の記憶に残っています。
 それとは別に、『英米文学概論』という授業がありました。最初この授業は、荒先生の担当で『アルファベット発達史』というテキストを毎週英訳してレポートで各人が提出するといういっぷう変わった授業でした。ところが、私が受講中に先生が病気で亡くなってしまい、ピンチヒッターの先生(その教授の名前は忘れてしまいました。)が英文で書かれた新しいテキスト(テキストの本の名前を忘れてしまいました。)で英米文学の小説・詩・戯曲等の概略を学ぶ授業に変わりました。そして、偶然にも小説の分野で、エドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』が取り上げられていました。(確か、戯曲の分野ではシェークスピアが取り上げられて、その悲劇がギリシャ悲劇の伝統を引き継いでどういう効果があったのかという話だったと思います。文学の概論とはいえ、具体的でわかりやすい授業内容でした。最後に授業で学んだことのテストを受けて、私としては悪くない成績をとれたと思います。)
 その英文テキストと先生の日本語による解説によれば、ポーの小説は根本的には一人称の小説であるということでした。けれども、日本の私小説とは違っていて、作者の意識が内にこもって描かれてはいない。語り手である『私』が見聞き感じた周りの異常な出来事に、恐怖や不安を感じてその実感を直接読み手に伝える手法なのだ、というような説明でした。
 それを現代的に私が説明してみましょう。テレビゲームで例えるならば、普通の小説やテレビドラマの大部分は、『ストリート・ファイター』のように主人公がプレイヤー(テレビの受け側)から見て、客体化して、その姿全体がテレビの画面に映ります。一方、ポーの小説は、『バイオ・ハザード』などのゲームのように、プレイヤーと主人公の視点が同じになります。つまり、プレイヤー(テレビの受け側)は、主人公の側にいるため、主人公の姿を画面で確認することはできません。その代わり、物影から飛び出すゾンビにやられそうになることへの恐怖と不安を、主人公の視点でじかに感じるようになります。その臨場感は、主人公を客体化して(いわゆる人ごととして)見ているよりも、(身につまされるような)実感を伴った生々しいものになります。つまり、ポーは、読み手に主人公の身になってもらい、その主人公を襲った恐怖心や不安感を感じてもらおうとしているわけです。(このことは、重要なポイントなのでよく覚えておいてください。フェリーニ監督のあの映画を理解するうえで、大きなキーポイントになります。)
 しかしながら、これが私とポーとの最初の出会いではありませんでした。さらに、記憶をたどると高校時代にさかのぼります。NHK第二ラジオを聴いていたある日、私は『名作をたずねて』(というタイトルの番組でした。同番組でレイ・ブラッドベリの『みずうみ』を聴いたこともありました。)で『黒猫』の朗読を聴きました。それで興味を持って、古い岩波文庫の翻訳物を読んでみたのですが、さっぱり書いてあることがわかりませんでした。短編小説とは言っても、人生経験の乏しい十七、八才の私が理解できる内容ではありませんでした。
 第一、『黒猫』の主人公の『私』がアルコールで身を持ち崩すということが、よくわかりませんでした。アルコール中毒(アル中)やアルコール依存症や酒癖の悪い人を、日常生活で子供の頃からみたことはありました。が、動物を可愛がっていた人間が、酒を飲むようになってガラッと性格が変わって、動物虐待を始めるようになるくだりがどうしてもわかりませんでした。語り手である主人公がそういう残虐なことをするようになる、という心境がどうしても理解できませんでした。
 若い私自身にそういう人間になった経験が無かったために(実は今でもそうですが)、黒猫を虐待して、また、黒猫から追い詰められる『私』の恐怖心と不安感が理解できませんでした。つまり、私にとって、その恐怖心や不安感は、つじつまの合わない、訳のわからないものに感じられました。黒猫に対する『私』の意識はすべて幻想や妄想の類であり、現実的にはありえない作り話としか考えられませんでした。要するに、ポーの小説の言わんとしていることが、若い頃の私には明確に理解できませんでした。ただ、黒猫への不安と恐怖がモヤモヤして漠然としたイメージになって心に残ってしまいました。
 ですから、もしも、ラジオの朗読(効果音や音楽付きのドラマ)で『黒猫』に出会わなかったら、私はポーのこの短編小説にまったく興味を持たなかったことでしょう。その朗読は、男の俳優さん(山本圭さん)の朗読で、小説と言うよりも実は劇に近いものでした。黒猫のせいで絞首台に送られるはめとなる不幸な主人公の哀れな声に、ドラマの聞き手は心が洗われるようでした。どんな不幸がこの世にあろうとも、この語り手ほどつらくはないだろうと思われるくらいでした。主人公のこの悲劇のドラマには、ある種の精神の浄化作用がありました。(同様に、レイ・ブラッドベリの『みずうみ』も、このラジオ番組でドラマとして聞くことがなければ、一生私は知らなかったかもしれません。湖の不思議な力が、大人になった男の心に変化をもたらすところが何となく現代小説的でした。)
 さらにまた、多くの人がそうだったように、私もやっぱりそうだった、という理由がもう一つありました。ニッポン放送の『オリベッティ劇場』というラジオドラマの番組をよく、『欽ドン』やプロ野球ナイターの後で聴いていました。怪人二十面相明智小五郎の対決という、番組の評判を学校の友人から聞いて、わたしもそれをラジオで聴くようになりました。それで『少年探偵団』や『怪人二十面相』や『黄金仮面』などなどの作者である江戸川乱歩という推理小説家を、私は知りました。そして、『江戸川乱歩』のネーミングが、『エドガー・アラン・ポー』からきているのを当時中学生だった私は知りました。
 その『オリベッティ劇場』という10分か15分くらいのラジオ番組について、私も書いてみたいと思います。特に、番組のオープニングの音が怖かったことを憶えています。まず、雷がゴーンととどろいて、ニャー、ニャーと猫の鳴き声がします。そして、嵐が吹き荒びます。別のパターンでは、ゴーンという雷と吹き荒ぶ嵐の中をタン。タン。タン。と階段を上る足音(と言うよりも、干した布団を規則正しく叩く音に似ていました。)の後に、ギーッと長い音で木のドアが開くのが、ちょっとぉ…、と思いました。「おりべってぃ〜げきじょ〜(オリベッティ劇場)。えどがわらんぽぉ〜さく(江戸川乱歩作)。おーごんかめん(黄金仮面)。だいさんかい(第3回)。」と男性のゆっくりした低い声を聞きながら、私は布団の中で声を出せずに固まっていました。最初私は、『えどがわらんぽぉ〜』をランプの一種だと思って聞いていました。この『オリベッティ劇場』は原作をかなり脚色していましたが、私のこの記憶にもかなりの脚色がされてしまったかもしれません。それほど思春期の私にとっては怖かったのでしょう。
 以上が、私がポーに興味を持ったことについてです。私はこのようにさりげなくポーという小説家のことを知ることになりました。また、『世にも怪奇な物語』というオムニバス映画についても、十代のその頃テレビの洋画劇場で見て知ることになったのです。(つづく)