私の本業 きゅうりの研修に参加する

 今日は朝から夕方まで、私は地元のJA信州上田による視察研修に参加していました。埼玉県にあるきゅうりの種苗メーカーさんに行って、きゅうりの栽培に関するノウハウの研修と、きゅうりの栽培試験の現場を視察することが目的でした。去年、地元のJAでは、レタスときゅうりが売上げの二枚看板になりました。今年も何とか、きゅうりの売上げを安定的に確保したいという意味もあって、地元の上田地区のきゅうり生産者を募って、きゅうりの流通責任者や技術指導員と共に総勢二十数名で、マイクロバスをレンタルして日帰りで埼玉県に行ってきました。
 今日行ったきゅうりの種苗メーカーさんは、私にとっては直接苗を注文している会社ではありませんでした。したがって、今回の研修視察に参加するつもりはなかったのですが、地元できゅうり栽培の大先生で80代のお爺さんである田中さんや、研修生の後輩の梶谷くんに勧められて、また、参加する人が少ないと頭数がそろわないという理由で視察研修自体が中止になると聞いて、私も参加することにしました。
 この種苗メーカーさんは、全国的に広くきゅうりの種や苗の取引をしていて、きゅうりの種や苗に関する多くのクレームや問い合わせに対応するために、自社の温室設備で一年中、きゅうりの栽培試験をしながら、きゅうりの栽培ノウハウの研究をしています。また、きゅうりの栽培に関して専属の先生が講義をしてくれる教室も用意されています。お昼をはさんでその教室で研修を受けることができるようになっています。(お昼は、この会社側でお弁当を出してくれます。)その先生というのは、通常は全国のきゅうり生産地におもむいて、現地のきゅうり生産者に栽培の仕方を教えているのだそうです。(実は、上田の地元のきゅうりの大先生である田中さんも、かつてこのメーカーさんに頼まれて、きゅうり栽培の仕方を教えるために、東北地方を中心に出張していたことがあったそうです。)
 私がきゅうりの苗をJAを通じて注文している会社は、三重県の伊賀にあります。地元のJAの視察研修で、その種苗メーカーさんにも行ったことがあります。きゅうりやトマトやナスなどの苗を育てるための機械や設備が整っていて、工場のような所でした。ところで一方、今回行ったところは、栽培試験をするために温度調節が完璧にできる理想的な環境できゅうりの栽培がされているのを見てきました。栽培試験環境なので、雑草1つ生えていない環境で、病気にかかった木が1本もなく、病気の葉っぱが1枚もない、完全に理想的な環境でした。もちろん、地元で各生産者が実際にきゅうりを栽培してみれば、温度の変化や、天気の変化で、理想的な栽培はできません。ですから、そのような条件下で栽培されているきゅうりの木を各生産者が見ることは、品種の特徴を知る上で意味のあることだと思いました。
 きゅうりの栽培の仕方に関する先生の講義も、勉強になりました。今回の私は初参加でしたが、講義を聴いてよかったと思いました。きゅうりの種や苗を買う側には、まだまだ勝手な思い込みがあり、きゅうりの栽培でうまくいかない点が出てきてしまうと、そのきゅうりの品種のせいにして終わってしまうことが多いということです。例えば、最近のきゅうりの木は夏場までもたないで枯れてしまう、ということが地域で増えてくると、種苗メーカーさん側が種や苗を多く買わせるための陰謀に違いないと思ってしまいます。しかし、種苗メーカーさんの側でも、きゅうりの木が早く枯れてしまうことの原因を栽培試験で調べていて知っていました。詳しいことはへし折りますが、種や苗を買った側の栽培条件に問題があることが指摘されました。このように、種苗メーカーさん側としても濡れぎぬをはらしたいという意味もあって、このような研修活動を行っているわけです。
 また、私の場合、前年失敗したことはよく覚えています。次の年に同じような失敗をするまい、と考えます。しかし、うまくいった要因を見落としてしまっていることが少なくありません。きゅうりの栽培のノウハウをもっといろいろ知ることによって、有効な方法とムダなやり方の仕分けをすることが必要だと思いました。たまたまやっていた方法が、高度な方法だと知らずにやっていたり、逆に、次回やろうとしていたことが効果の薄い方法だったりと、いろいろな体験からくる意見があるらしいのです。それらを参考にして、きゅうりの栽培をしている時に役立てようと思いました。
 このようにして、今日は一日、埼玉に行って帰ってくるだけでしたが、いろいろと勉強になりました。そう言えば、今日は私の誕生日でした。子供のころは、誕生日会などというものがありましたが、この年になると別にどうでもいいかな、と思います。私の祖父などは、1歳としをとるたびに、不機嫌になったものです。周りの人間や家族がみんな若いのに、自分一人だけ生きる時間が減っていくことに寂しさを感じて、周りの家族の迷惑を考えずにわめき散らしました。私は、その気持ちはわかるとしても、身勝手と言うしかないと思いました。人生つつましくあるべきです。
 よく、人生50年とか、人間50年とか言います。今日で私は50歳になります。でも、私は、織田信長ではないし、織田信長のようにならなくてよかったかな、と思うことがあります。ちょっと下らない話ですが、明智光秀の謀反は、新約聖書に書かれているユダの裏切りに似ているなと思ってしまいました。話は違いますが、そもそも、「人間50年」というのは『敦盛』の一節です。そう言えば、中学1年の国語の授業で『平家物語 敦盛の最期』というのを学んだことがあります。確か、熊谷直実という武将が平敦盛という若い武将を討ち取って世をはかなみながら出家したという話だったと思います。私も、そんな境遇にならないように気をつけねばと思います。